イタリアの作曲家。ナポリ近郊のアベルサに生まれる。ナポリの音楽院で学び、1772年オペラ作曲家としてデビュー、パイジェッロと人気を二分するナポリ楽派オペラの代表者として活躍。87~91年ペテルブルグ、92~93年ウィーンの宮廷楽長を経て、96年よりナポリの宮廷楽長を務めたが、99年の市民蜂起(ほうき)の際に共和制への賛歌を作曲したため、革命の失敗後死刑を宣告された。友人の嘆願で追放処分に減刑されたが、ベネチアで急死したため、当時ナポリ当局による毒殺が噂(うわさ)された。70曲近いオペラの大半は、優美な旋律と軽妙な劇的感覚にあふれるオペラ・ブッファ(喜劇的オペラ)で、代表作『秘密の結婚』(1792・ウィーン初演)は18世紀後半の傑作オペラに数えられ、今日も上演機会が多い。ほかに、出演歌手が1人だけの『宮廷楽士長』(作曲年不明)、イタリア旅行中のゲーテが絶賛した『困った興業師』(1786)、陰影に富む『レクイエム・ト短調』(1787)などが知られる。
[大久保一]
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イタリアのナポリ楽派のオペラ・ブッファ作曲家。ナポリ,ローマを中心に活躍。ペテルブルグの宮廷やウィーンの宮廷で過ごした時期もある。軽妙・華麗で技巧的なオペラ・ブッファを多数作曲し,ヨーロッパ中で人気を博した。オペラのほかにカンタータ,オラトリオ,モテットほかの宗教曲,多数の器楽曲がある。代表作にオペラ・ブッファ《秘密の結婚》(1792)および《困った興行師》(1786)などがある。
執筆者:岸本 宏子
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… 1730年代に入ると,ロシアの宮廷に直接西欧から音楽が輸入され始めた。1735年以来長くロシアに滞在したイタリアの作曲家アラヤFrancesco Araja(1709‐70?)を草分けとして,ガルッピBaldassare Galuppi(1706‐85),トラエッタTommaso Traetta(1727‐79),パイジェロ,サルティGiuseppe Sarti(1729‐1802),チマローザといった一流のイタリア人作曲家が,エカチェリナ2世(在位1762‐96)の宮廷楽長としてペテルブルグに滞在した。イタリアをはじめ西欧から多くの音楽家が雇われて,ロシアの宮廷や大貴族の下で演奏やロシア人音楽家の教育に当たった。…
※「チマローザ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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