パッラディオ(読み)ぱっらでぃお(その他表記)Andrea Palladio

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パッラディオ」の意味・わかりやすい解説

パッラディオ
ぱっらでぃお
Andrea Palladio
(1508―1580)

イタリアの建築家、建築理論家。本名Andrea di Pietro della Gondola。粉屋の子としてパドバに生まれ、ビチェンツァで石工および煉瓦(れんが)工となったが、1536年ごろ人文学者ジャンジョルジョ・トリッシーノに才能を認められ、その助言で数学、ラテン文学、さらに古代ローマの建築家ウィトルウィウスの研究を始めた。1545年にはトリッシーノに伴われてローマに行き、2年間の滞在中、古代建築の遺構の調査・研究に没頭した。ビチェンツァに帰ると、まず初期ルネサンスの建築パラッツォ・デラ・ラジョーネ(通称バシリカ)の改装を手がけた。彼は、外壁を古代風の2層の柱廊で覆い、ついで柱間のアーチを別の繊細な独立円柱で支える、いわゆる「パッラディオ式モチーフ」を用いて、外観構成の厳格さを緩和させている。この独創的なデザインで賞賛を博したが、彼の設計のうち直接的に古代ローマのモチーフを採用した示例としては、ビチェンツァ郊外のビラ・カプラがあげられる。これは、正方形のプランの中央にクーポラ(円蓋(えんがい))をのせた円形広間を配し、四方の正面には同一デザインの柱廊玄関が設けられた簡素で魅力ある建築である。彼は聖堂建築の設計にも手を染めるが、代表作ベネチアのサン・ジョルジョ・マッジョーレとイル・レデントーレの正面のデザインには古代神殿のモチーフが採用されている。遺作ビチェンツァのオリンピコ座は、弟子スカモッツィにより完成された。設計のみでなく、主著『建築四書』I quattro libri dell'architettura(1570)を通じても近世建築の発展に寄与しており、彼の建築および著書を理想の規範とする17、18世紀古典主義建築様式を、パッラディオ主義とよぶ。

[濱谷勝也]


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