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ビヤリカ Villarrica

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ビヤリカ
Villarrica

チリ中南部の都市。テムコの南南東約 70km,アンデス山脈西麓の湖沼地帯にあり,ビヤリカ湖南西岸,トルテン川が流れ出す地点に位置する。 1552年スペイン人が侵入し,先住民インディオに対する防衛拠点として建設。現在周辺の農牧地帯の集散地で,製材製粉なども行われる。南東方にはビヤリカ火山がそびえ,風光明美で,湖ではヨット・ボート遊びや魚釣りができるため観光業も盛んで,市の重要な収入源となっている。パンアメリカン・ハイウェーとチリ縦貫鉄道から分岐する道路と鉄道支線が通じる。人口約2万 5000。

ビヤリカ
Villarrica

パラグアイ,東部地方 (パラグアイ川以東) 中南部,グアイラ県の県都。首都アスンシオンの東南東約 130kmにあり,丘陵に囲まれた低地に位置する。 1576年パラナ川沿岸に建設され,1682年現在地に移転。肥沃な農業地帯の商工業中心地で,マテ茶 (パラグアイ茶) ,タバコ,綿花,サトウキビ,オレンジ,ブドウ,ウシ,皮革などを集散し,市内には製材,繊維,製粉,製糖,蒸留酒,ワイン,なめし皮,マテ茶加工,製靴などの工場がある。宗教中心地でもあり,市の大聖堂を訪れる巡礼者が多い。首都とエンカルナシオンを結ぶ鉄道が通るほか,北に延びる道路により東部地方を横断する幹線道路にも連絡。人口2万 1372 (1985推計) 。

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世界大百科事典内のビヤリカの言及

【レドゥクシオン】より

…1537年のグアテマラ司教マロンの提唱以後,各地で実践され,とくにパラグアイで活発な展開がみられた。1767年,スペイン領アメリカからイエズス会士が追放されて以降,この種の村落の大半は崩壊したが,パラグアイのビヤリカVillarricaとエンカルナシオンはレドゥクシオンから都市に発展した例として知られる。【山本 徹】。…

※「ビヤリカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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