日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピオンボ」の意味・わかりやすい解説
ピオンボ
ぴおんぼ
Sebastiano del Piombo
(1485ころ―1547)
イタリア、ルネサンス期のベネチア派の画家。本名はSebastiano Luciani。ベネチアに生まれ、1547年6月21日ローマに没した。ピオンボの通称は1531年に教皇庁の鉛(ピオンボ)の封印の保管職に任ぜられたところからきている。ジョバンニ・ベッリーニの弟子となるが、同門のジョルジョーネから大きな影響を受けた。初期の作品として『聖人たち』(1507~09、サン・バルトロメオ聖堂)、『聖会話』(1508~10、サン・ジョバンニ・クリソストモ聖堂)などがある。1511年アゴスティーノ・キジの招きでローマに移り、ビラ・ファルネジーナに『ポリュペーモス』(1512~13)などの壁画を制作。ラファエッロとは相互に影響を与え合い、『ドロテア』(製作年不詳、ベルリン絵画館)、『アンドレア・ドーリア』(1526、ローマ、ガレリア・ドーリア・パンフィーリ)、『クレメンテ7世』(1526、ナポリ、カーポディモンテ美術館)などの優れた肖像画が生まれた。ミケランジェロからはいっそう強い影響を受けており、彼から与えられたデッサンを下絵にして『ラザロの蘇生(そせい)』(1519、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)などの宗教画を制作、有名な『ピエタ』(1517ころ、ビテルボ市立美術館)もそのようにして描かれたといわれている。
[篠塚二三男]