フォルカー シュレンドルフ(英語表記)Volker Schlöndorff

現代外国人名録2016 の解説

フォルカー シュレンドルフ
Volker Schlöndorff

職業・肩書
映画監督

国籍
ドイツ

生年月日
1939年3月31日

出生地
ヴィースバーデン

受賞
カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞(第19回)〔1966年〕「テルレスの青春」,カンヌ国際映画祭パルムドール(第32回)〔1979年〕「ブリキ太鼓」,アカデミー賞外国語映画賞(1979年度)「ブリキの太鼓」,ベルリン国際映画祭青い天使賞(第50回)〔2000年〕「リタの伝説」

経歴
16歳でパリに移り、ソルボンヌ大学で法律と経済を学ぶ。1958年フランス全土の哲学懸賞論文2位に輝き、IDHEC(パリ高等映画学校)の試験にもパスする。’59年からルイ・マル監督のもとで助監督として働く。’60年短編「誰に関係があるのか?」で監督デビューするが、未公開に終わる。’66年初長編「テルレスの青春」がカンヌ国際映画祭で高い評価を受け、一躍有名になる。’71年女優のマルガレーテ・フォン・トロッタと結婚、以後は共同監督、共同脚本家として仕事に取り組む。’74年オペラ「カーチャ・カヴァノヴァ」で舞台監督としてデビュー。’75年映画に戻り、ニュー・ジャーマン・シネマ勃興尽力。’79年「ブリキの太鼓」でカンヌ国際映画祭パルムドール、米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞し、名声を不動のものにした。狂暴さと優しさと不条理を叙情的に描く映像作家。’86年マルガレーテと別れ米国に移住。のちミュンヘンを本拠地に活動。他の作品に「スワンの恋」(’84年)、「侍女の物語」(’89年)、「リタの伝説」(2000年)、「9日目〜ヒトラーに捧げる祈り〜」(2004年)、「シャトー・ブリアンからの手紙」(2011年)、「パリよ、永遠に」(2014年)など。1991年東京国際映画祭のインターナショナル・コンペティション部門に「ボイジャー」を出品。大きな反響を呼んだ。独仏英伊西語に堪能。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報