イギリスの化学工業家。サンダーランドで生まれた。薬屋に年季奉公をして,実用的な化学知識を身につけた。化学関係の商売をするかたわら,炭素印刷法の開発や写真乾板の開発を行い,1879年に印画紙を発明した。また電気技術に関しても,1845年に白金-イリジウム合金の白熱線を見たことが契機となって,とくに白熱電球の開発に努力した。60年までには炭化紙片のフィラメントを使用した電球を製作したが,排気不十分のためにあまりにも短寿命で失敗。17年後に,シュプレンゲルH.J.P. Sprengelの水銀式真空ポンプを用いて研究を再開し,79年2月にニューカスル化学協会で自作した白熱電球を提示した。炭素フィラメントの製造法の開発に貢献し,電球普及の基礎をつくった。電気化学分野では,敏速な銅沈殿過程の発明も行った。1904年ナイトに叙せられる。
執筆者:日野川 静枝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イギリスの化学工業家、発明家。サンダーランドの生まれ。薬剤師の徒弟を経て、ニュー・カッスルで化学工場の経営に参加した。1863年炭素を用いた印刷法を発明し、1877年写真用臭化銀ゼラチン乾板を改良して市販した。さらにこれを応用して、1879年ブロマイド印画紙の特許を得た。また1878年、エジソンよりも1年前に炭素フィラメントによる白熱電球を発明、市販した。この過程でニトロセルロース溶液から糸を引き、脱硝して繊維を得るニトロセルロース人絹製造法の原理もみいだした。これはのちにシャルドンネらによって改良され、レーヨン工業へと発展した。1904年ナイトに叙せられた。
[川野辺渉]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… その後,感光材料の研究は急速に進んで1871年には現在の写真フィルムの乳剤の原型である臭化銀ゼラチン乳剤がイギリスのR.L.マドックスによって考案され,写真感光材料の感度が著しく高くなり取扱いも容易になった。この発明ののち,写真乾板を工業的に製造する機運が高まり,1877年のイギリスのJ.W.スワンの商会に続いて,83年にはアメリカのイーストマン社から乾板が売り出された。イーストマン社は現在のコダック社の前身で,88年に紙のロールフィルムを売り出して写真が一般大衆に親しまれる端緒を作った。…
※「スワン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加