ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォンテンブロー勅令」の意味・わかりやすい解説 フォンテンブロー勅令フォンテンブローちょくれいEdit de Fontainebleau 1685年 10月,フランス王ルイ 14世が「ナントの勅令」 (1598) を廃止した勅令。ユグノーに対する圧迫は特に 80年代に激しく,残忍な改宗強要が行われた。一方,「最大のキリスト教徒の王」としてヨーロッパ支配を夢想するルイ 14世はカトリックの保護者であることを実証する必要があった。さらに外交上,イギリスの復古王朝と結びプロテスタント国オランダに対抗するにも,「ナントの勅令」を廃止してカトリック国家を宣言することは好都合であった。しかし,廃止後のユグノー弾圧は国内外の激しい反発を呼び,国内からのユグノー技術者の逃亡,反フランスのアウクスブルク同盟の結成と,ルイ 14世の時代は落日へ向った。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by