コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

フランコ・フラマン派 フランコフラマンはÉcole franco‐flammande[フランス]

1件 の用語解説(フランコ・フラマン派の意味・用語解説を検索)

世界大百科事典 第2版の解説

フランコフラマンは【フランコ・フラマン派 École franco‐flammande[フランス]】

14世紀後半から15世紀初頭にかけて,フランス王侯の宮廷に仕え活動したネーデルラント出身の彫刻家・画家たち。〈フランコ・フラマン〉とは〈フランス・フランドルの〉の意であるが,実際にはフランドルのみならずオランダ(ネーデルラント北部)から北フランスにかけての広い地域から,フランス王やブルゴーニュ公,ベリー公らのもとに赴いているが,19世紀末以来,この名称が便宜的に用いられている。彫刻の分野では,シャルル5世,ベリー公に仕えたボーヌブーA.Beauneveu,ジャン・ド・リエージュJean de Liège,ベリー公の墓碑を制作したジャン・ド・カンブレJean de Cambrai,ブルゴーニュ公によるシャンモール(ディジョン郊外)の修道院造営事業に参加したジャン・ド・マルビルJean de Marville,C.スリューテルなどが有名で,いずれも,王侯の墓碑肖像彫刻に典型的に示されているように,モニュメンタルな様式感を失うことなく写実的表現を深化させている点が特徴的である。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

世界大百科事典内のフランコ・フラマン派の言及

【フランドル楽派】より

…主要な作曲家の出身地がほとんどフランドル地方,すなわちベルギー,フランス北部,オランダ南西部を含む地域であったためにこの名称があるが,彼らはヨーロッパ各地で活躍,その音楽様式はヨーロッパ全体に広まっていた。かつてはネーデルラント楽派と呼ばれたこともあったが,狭義のネーデルラントがオランダのみを指すのに対し,この楽派にはオランダ出身の音楽家がきわめて少なく,したがってネーデルラントという用語は誤解を招きやすいので,近年はフランドル楽派,フランコ・フランドル楽派École franco‐flamandeなどと呼ぶのが一般的となっている。 フランドル楽派は,宗教的・世俗的声楽曲において,声楽ポリフォニーを推し進め,さらには器楽曲を開花させた。…

【国際ゴシック様式】より

…これは,イタリア,ネーデルラント,ドイツの都市で経済力を得,教会,王侯と並んで芸術のパトロンとして成長した富裕な市民層の日常感覚の反映を示すものといえる。 国際ゴシック様式が最も典型的にみとめられるのは,フランス王侯の宮廷で,イタリア絵画の革新の成果と接触しながら制作したネーデルラント出身の工人たち,アンジュー公のためにタピスリー(いわゆる《アンジェの黙示録》)の下絵を制作したJ.バンドル,ブルゴーニュ公に仕えた板絵画家J.マルーエル,H.ベルショーズ,ベリー公に仕えた彫刻家A.ボーヌブー,写本装飾画家J.ド・エダン,ランブール兄弟など,〈フランコ・フラマン派〉と称せられる人々の作品である。彼らはギルドの束縛をはなれ,王侯の従僕として祝祭の装置から家具調度の修理まで美術の各分野にわたって幅広く活動している。…

【フランドル美術】より

… 14世紀後半には,フランドルがフランス王室の分家ブルゴーニュ公国に編入されたこともあって,フランスにおけるフランドル出身の写本装飾画家たちの活躍がめざましい。この,いわゆる〈フランコ・フラマン派〉の作品は,全体としてはいまだ装飾的であるにしても,細部の写実や線によらず光と色彩で対象を描写するやり方に新傾向を見せ,〈窓〉としての絵画への方向に大きく歩を進めている。ブルゴーニュ公国の首都ディジョン近傍シャンモールのカルトゥジア会修道院の祭壇厨子も,14世紀末フランドルに注文され,ヤコプ・デ・バールゼJacob de Baerzeが木彫の中央部を,ブルーデルラムMelchior Broederlamが翼画を制作した。…

※「フランコ・フラマン派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone