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プエンテ

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百科事典マイペディアの解説

プエンテ

米国の打楽器奏者,編曲家。ニューヨークプエルト・リコ系の移民の生れ。ノロ・モラレスマチートなどの楽団で活躍後,1949年自らの楽団で成功した。あらゆる楽器をこなすが,特にティンバレスの演奏で知られる。

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世界大百科事典 第2版の解説

プエンテ【Tito Puente】

1923?‐
ラテン・アメリカ音楽バンドリーダーで打楽器の第一人者。ニューヨークでプエルト・リコ移民の子として生まれた。生年は1925年ともいわれる。10代の前半からノロ・モラレス楽団,マチート楽団など一流ラテン・バンドで打楽器ティンバレスの奏者として働き,49年に自己のバンドを結成,50年代のニューヨークでマンボブーム担い手となる。一貫してアメリカでのラテン・アメリカ音楽の最高の演奏者としての地位を保ち,70年ころにサルサが台頭して以後も,大御所的な存在としてミュージシャンに尊敬されてきた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プエンテ
ぷえんて
Tito Puente
(1923―2000)

アメリカのパーカッション(ティンバレス、ビブラホーン)奏者、ビッグ・バンド・リーダー。本名エルネスト・アントニオ・プエンテ・ジュニアErnest Antonio Puente Jr.。「ティト」はエルネストの愛称であるエルネスティートからきている。ニューヨークのイーストハーレムに生まれたプエルトリカン。「マンボ・キング」として親しまれ、もっとも尊敬されたUSラティーノ中南米およびカリブ海諸島などのスペイン語圏出身者)のミュージシャン。
 当初、ダンサーを志していたがけがであきらめ、ニューヨーク・スクール・オブ・ミュージックでピアノ、サックスのレッスンを受け、後にドラムを学ぶ。16歳で学校を中退し、フルタイムのプロ・ミュージシャンとなる。1941~1942年、当時もっとも人気の高かったノロ・モラレス楽団でドラムを叩く。1942年にはマチート楽団でティンバレスも担当。同年兵役につき、軍楽隊のメンバーとしてアルト・サックスとドラムを担当し、ほかのミュージシャンからアレンジを学んだ。除隊後、GIビル(兵役経験者に対して支給される優遇措置)でジュリアード音楽学校で音楽理論、オーケストレーション、指揮などについて学ぶ。
 卒業後ホセ・クルベーロ楽団、フェルナンド・アルバレス・ブラジリアン・バンドなどを経て、1947年にはプピ・カンポ楽団のドラマー兼音楽監督に就任。同楽団在籍中の1948年に自らの楽団ピカデリー・ボーイズ(後のティト・プエンテ・アンド・ヒズ・オーケストラ)を結成。1949年にプピ・カンポ楽団を辞め、自分の楽団に専念する。当初7人編成(トランペット2、ピアノ、ベース、コンガ、ボンゴ、ボーカル)で1949年にレコード・デビューするが、同年にはトランペット4人、トロンボーン3人、サックス4人と膨れ上がり16人編成になる。彼のもとには歌手ビセンティコ・バルデスVincentico Valds(1919―1995)、パーカッショニスト、マニー・オーケンドーManny Oquendo(1931―2009)、ピアノ奏者チャーリー・パルミエリCharlie Palmieri(1927―1988)、パーカッショニスト、モンゴ・サンタマリアMongo Santamaria(1922―2003)などの逸材が集まり、1950年代のニューヨークでのマンボ全盛期には幼なじみのビブラホーン、ギター奏者ティト・ロドリゲスTito Rodriguez(1923―1972)の楽団と人気、実力でしのぎを削る。
 その後もプエンテの楽団には多くの優れたミュージシャンが集結し、1960年代にはパチャンガ(1960年代初頭にコロンビア、ドミニカ、ハイチ音楽のリズムをもとにキューバでつくられた音楽)、ブーガルー(ロック、リズム・アンド・ブルース、ジャズなどの要素を融合させたラテン音楽)、ラテン・ソウル・ミュージックといった新しい音楽の流行も取り入れながら、ブロードウェー・ミュージカルのヒット曲からアフロ・キューバン音楽まであらゆる曲を演奏し、セリア・クルーズCelia Cruz(1925―2003)など多くの歌手との録音も行う。1962年には「オジェ・コモ・バ」を吹き込む。この曲は1970年にカルロス・サンタナがカバーして大ヒットした。1979年(昭和54)には、LP(ラテン・パーカッション社)ジャズ・アンサンブルで来日し、ワークショップも行う。その後も精力的に活動を続け、1991年にはアルバムが通算100枚目となり、それを記念してアルバム『ザ・マンボ・キング』The Mambo Kingを発表する。この大きな節目の後も、ティト・プエンテ・アンド・ヒズ・オーケストラ、ゴールデン・ラテン・ジャズ・オールスターズ、ラテン・ジャズ・アンサンブルの三つのアンサンブルを中心にツアーやクラブでの演奏、録音を重ね、アルバムは死後に発表されたものを加えると120枚に及ぶ。日本にもたびたび訪れ、ジャズ、ラテンアメリカ音楽のファンに広く親しまれた。[東 琢磨]
『東琢磨編『カリブ・ラテンアメリカ 音の地図』(2002・音楽之友社) ▽Steven Loza Tito Puente and the Making of Latin Music(1999, University of Illinois Press, Urbana) ▽Scott Yanow Afro-Cuban Jazz(2000, Miller Freeman Books, San Francisco) ▽Ed Morales Living in Spanglish; The Search for Latino Identity in America(2002, St. Martin Press, New York)』

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