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ペルー日本大使公邸人質事件 ペルーにほんたいしこうていひとじちじけん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ペルー日本大使公邸人質事件
ペルーにほんたいしこうていひとじちじけん

1996年 12月 17日,ペルーのリマで天皇誕生日祝賀パーティを開いていた日本大使公邸を左翼ゲリラ「トゥパク・アマル革命運動」 (Movimiento Revolucionario Tupac Amaru;MRTA) が襲撃し,700人以上もの出席者と大使館関係者を人質にたてこもった事件。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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知恵蔵2015の解説

ペルー日本大使公邸人質事件

ペルーの首都リマで1996年12月17日、日本大使公邸を左翼ゲリラ「トゥパク・アマル革命運動(MRTA)」の武装部隊が襲撃し、天皇誕生日祝賀パーティーの出席者約800人を人質に立てこもった。ゲリラは人質解放の条件として、獄中の仲間全員の釈放や革命税(身代金)の支払いなど4項目を要求。やがて人質の大半は解放されたが、ペルー政府高官や青木盛久大使ら日本大使館員、日本企業駐在員ら72人が最後まで残された。事件発生から127日目の97年4月22日、政府軍の特殊部隊140人が公邸に突入、チャビン・デ・ワンタル作戦を展開した。人質のペルー人判事1人と特殊部隊員2人、ゲリラ14人全員の計17人が死亡した。日本人24人を含むその他の人質は無事だった。日本政府は平和解決を主張していたが、突入作戦の結果をみて武力解決支持に転換した。フジモリ大統領(当時)は同年7月に訪日し、日本政府は約400億円の円借款供与を約束した。突入作戦の際に投降したゲリラを殺害したとして特殊部隊員が起訴されたが、軍最高裁は2004年4月、全員の訴追を棄却した。

(伊藤千尋 朝日新聞記者 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

ペルー日本大使公邸人質事件

96年12月17日、左翼ゲリラ・トゥパク・アマル革命運動(MRTA)の武装グループが天皇誕生日の祝賀レセプションを開いていたリマの日本大使公邸を襲撃。青木盛久大使や各国要人ら最大で約600人を人質に占拠した。日本政府は駐メキシコ大使でフジモリ大統領と旧知の寺田輝介氏を現地対策本部顧問に起用。寺田氏はシプリアニ大司教ら3人で構成する保証人委員会とともにペルー政府とMRTAの予備交渉に公式オブザーバーとして同席した。ペルー政府は大統領の発案で公邸下までトンネルを掘り、事件発生から127日目の97年4月22日、特殊部隊が公邸に突入。MRTAのメンバー14人全員を射殺、日本人24人を含む71人の人質が救出された。

(2007-04-19 朝日新聞 朝刊 政治)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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