ポーランド継承戦争(読み)ポーランドけいしょうせんそう(英語表記)Wojna sukcesyjna polska ポーランド語

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポーランド継承戦争」の意味・わかりやすい解説

ポーランド継承戦争
ポーランドけいしょうせんそう
War of the Polish Succession

1733~35年ポーランド王位継承をめぐる内戦と,それに呼応したフランススペイン対ザクセン,オーストリアロシア諸国間の戦争。 33年ポーランド王アウグスト2世 (→フリードリヒ・アウグスト1世 ) 死後スタニスワフ1世レシチンスキ即位をフランス,スペインと国内多数派は支持したが,ザクセン=ロシア連合軍の武力介入により国王は失脚,ザクセン選帝侯であったフリードリヒ・アウグスト2世がアウグスト3世として即位した。グダンスクの攻防戦で長期化したポーランドの内戦と並行して,西ヨーロッパではフランスとオーストリア両国間の戦争に発展し,失地回復を意図するスペインとサルジニアがフランス側に参戦して国際化した。 35年ウィーン仮条約でアウグスト3世の王位が認められ,スタニスワフ1世の廃位とロレーヌ公としての地位が確定し,イタリアにおけるフランスの領土的野心は満足させられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポーランド継承戦争」の意味・わかりやすい解説

ポーランド継承戦争
ぽーらんどけいしょうせんそう
Wojna sukcesyjna polska ポーランド語
Polish Succession War 英語

1733~35年にポーランド王選出をめぐって、オーストリア、ロシア対フランス、スペイン、サルデーニャ間で行われた戦争。1733年ポーランド王アウグスト2世(兼ザクセン選帝侯)が没すると、フランス王ルイ15世は、義父スタニスワフ・レシチンスキを国王に推し、ポーランドのシュラフタ(特権的身分)の多くにも支持された。これに対して、オーストリアとロシアは武力介入し、先王の子をアウグスト3世(兼ザクセン選帝侯)として擁立したため、これに反対したフランスと、オーストリアからの失地回復を望んだスペイン、サルデーニャが参戦し、おもにベルギー、ロレーヌ、イタリアが戦場となった。1735年のウィーン仮条約(本条約は1738年)によって戦争は終結した。この条約によって、レシチンスキは王位継承を断念するかわりに、ロレーヌを領有(のちフランスが併合)、オーストリアはスペインにナポリ、シチリアエルバ島を移譲することなどが定められた。その結果、フランスとスペインは勢力を拡大した。

[安部一郎]

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百科事典マイペディア 「ポーランド継承戦争」の意味・わかりやすい解説

ポーランド継承戦争【ポーランドけいしょうせんそう】

1733年―1735年にわたりポーランド王位継承権をめぐって行われた戦争。国王アウグスト2世の死後,ロシア,オーストリアの支持するザクセン選帝侯アウグスト3世と,スペイン,フランス,サルデーニャの支援するポーランド貴族スタニスワフ・レシチンスキ(2世の義父)が戦い,戦火は西欧各地に広がった。アウグストが勝ち,1738年ウィーン条約で正式に王位が承認され,レシチンスキは王位を断念するかわりにロレーヌを領有(1766年の死後はフランスに帰属)した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ポーランド継承戦争」の解説

ポーランド継承戦争
ポーランドけいしょうせんそう
Polish Succession War

ポーランドの王位継承をめぐり,1733〜35年に行われたフランス対オーストリア・ロシアの戦争
ポーランド貴族およびフランスは王妃の父を,オーストリア・ロシアはザクセン侯を立てて争った。スペイン・サルデーニャも介入し,イタリア・ライン川上流・ロレーヌ川などで戦争が行われた。

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