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マトス Matos Guerra, Gregório de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マトス
Matos Guerra, Gregório de

[生]1633. バイア,サルバドル
[没]1696. ペルナンブコ,レシフェ
ブラジルのバロック詩人。ポルトガルのコインブラ大学を卒業,リスボンの近くで裁判官となったが,1681年ブラジルへ戻り,バイアで助祭となった。痛烈な風刺精神でブラジルのポルトガル人,新興成金を批判し,そのためアンゴラへ追放され,帰国後はペルナンブコで晩年を過した。風刺詩のほかに抒情詩,宗教詩を数多く書いたが,一貫してバロック的傾向を示す。『抒情詩』 Lírica (1923) ,『宗教詩』 Sacra (29) ,『雅詩』 Graciosa (30) ,『風刺詩』 Sátrica (30) ,『終章詞』 Última (33) などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

マトス Matos, Gabriel de

1571-1634 ポルトガルの宣教師。
イエズス会司祭。慶長5年(1600)来日。長崎のトードス-オス-サントス教会修練長補佐,博多の上長,京都の下京住院院長などをつとめる。19年ローマ派遣日本管区代表にえらばれ離日。1621年日本と中国の巡察師となったが,再来日はせず,1634年1月9日マカオで死去。63歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

マトス

没年:1634.1.9(1634.1.9)
生年:1572頃
ポルトガル人イエズス会士。慶長5(1600)年来日,長崎でトードス・オス・サントス教会にあった修練院における修練長補佐を経て,筑前国(福岡県)秋月の教会主任として柳川,博多のキリシタンを指導した後,管区長カルヴァリョの秘書。同18年から京都の院長に着任したが,翌年江戸幕府の追放令によって長崎に下った。同年10月長崎で開かれた管区会議で,日本の状況を報告する管区代表に選ばれ,11月追放される宣教師とともにマカオへ渡り,1617年ローマに到着,任務を果たした。再び日本に戻ることを願いながら,遂にマカオのコレジョ(学院)で没したが,その間,日本および中国の巡察師に任じられている。<参考文献>J.F.Schu¨tte《Textus Catalogorum Japoniae 1553~1654》

(片岡千鶴子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

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