ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムハンマド・ゴーリー」の意味・わかりやすい解説
ムハンマド・ゴーリー
Muhammad Ghūrī
[没]1206
アフガニスタンのゴール地方のムハンマド家 13代目当主。初めはシハブ・ウッディーン (次にはムイッズ・ウッディーン) ・ムハンマドといった。兄のシャムス・ウッディーン (ギヤス・ウッディーン) とともにガズニー朝を滅ぼし,地方政権を糾合してゴール朝の最盛期を画した。兄によってガズニーにスルタンとして任命されて以後は,ここを根拠地としておもに北インド経略を目指した。 1202/3年には兄の位を継いだ。みずからスンニー (正統) 派イスラム教徒をもって認じ,デリーも掌握したが,パンジャブ遠征の帰途,イスマーイール派によってインダス河畔で殺された。以後ゴール朝は衰退した。
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