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モザンビーク解放戦線 モザンビークかいほうせんせんFrente de Libertação de Moçambique; FRELIMO

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

モザンビーク解放戦線
モザンビークかいほうせんせん
Frente de Libertação de Moçambique; FRELIMO

1962年6月モザンビーク民族民主同盟,モザンビーク・アフリカ民族同盟,独立モザンビーク・アフリカ同盟の3者が合体して結成された,モザンビークの解放組織。のち政党。 64年から本格的な武力解放闘争を開始。初代議長 E.モンドラーネは 69年2月ダルエスサラームで郵便爆弾により暗殺されたが,同戦線は北部のデルガド岬,ニアサ,テテなどの諸州に支配権を広げた。 70年5月に議長に就任した S.マシェルの指導のもとで闘争はさらに発展し,75年6月モザンビークは独立を達成。唯一の合法政党として国家建設を推進する役割をになうこととなった。 77年2月マプトで開かれた第3回党大会で,マルクス=レーニン主義に基づく前衛政党と規定され,新たに 67名から成る中央委員会と,10名から成る常任中央委員会が選出された。しかし,東欧・旧ソ連の民主化の影響もあって,89年には党綱領からマルクス=レーニン主義政党の規定を削除。 90年には複数政党制導入を盛込んだ新憲法が発効した。 94年 10月には複数政党制による大統領選挙が実施され,ジョアキン・アルベルト・シサノ党首が 53.3%の得票を得て,モザンビーク民族抵抗運動 RENAMOのアフォンソ・マカチョ・マルセタ・ドラカマ議長を破り当選。同月実施の国会選挙でも 250議席中 129議席を獲得して過半数を占めた。 98年6月初の地方選挙が実施されるが,投票者登録に不正があるとして野党がボイコットしたため圧勝したものの,投票率は 14.58%にとどまった。 99年 12月の大統領選挙ではシサノ大統領が再選され,同時に行われた国会選挙でも過半数を制して勝利した。

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世界大百科事典内のモザンビーク解放戦線の言及

【モザンビーク】より

…アフリカを代表する工芸品として,観光客のみやげ物や輸出用にも生産され,最近では現代的なモティーフを彫る作家も生まれている。またタンザニアの支援も得て,マコンデ族は独立時にはモザンビーク解放戦線(FRELIMO(フレリモ))の有力メンバーとして,積極的に活動した。 ジンバブウェにまたがり南部に居住するショナ族Shonaは,モロコシ,トウモロコシを中心に,シコクビエ,イネ,豆類を栽培する農耕民である。…

※「モザンビーク解放戦線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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