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ライバハ会議 ライバハかいぎCongress of Laibach

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ライバハ会議
ライバハかいぎ
Congress of Laibach

ウィーン体制下の自由主義運動弾圧を協議した列国会議。フランス革命の再来を押えるため,1820年7月ナポリ王国に発生したカルボナリ結社の革命に対して,21年1月 20日から5月 12日にかけてメッテルニヒがロシア,オーストリアプロシアイギリス,フランスの5国会議をライバハ (オーストリア帝国クライン州の首都,現スロベニアのリュブリャナ) に開催,イギリス,フランス両国の反対を押切ってオーストリア軍のナポリ,ピエモンテへの出兵を決定し,結局革命政権は崩壊した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ライバハ会議
らいばはかいぎ

1821年1月から5月にかけてイタリア問題を討議した神聖同盟の会議。ライバハLaibachは現在のスロベニアの首都のリュブリャナ。20年7月ナポリで、ついで21年3月ピエモンテ、サルデーニャで発生したカルボナリ党を中心とする立憲革命への対策が協議され、オーストリアによる武力干渉が決議された。この結果、オーストリアは神聖同盟の支持と圧倒的な武力によって、イタリア革命運動弾圧に成功した。[岡崎勝世]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のライバハ会議の言及

【ウィーン体制】より

…したがって統一的な国民国家をつくり出そうとする運動もまた鎮圧されることとなった。20年のトロッパウ会議,21年のライバハ会議では〈革命に際しては旧秩序を再建する〉ことが決議され,実際にイタリアではオーストリア軍のナポリ侵入が支持され,ギリシアの民族解放運動(ギリシア解放戦争)に対しては,支配者であるオスマン帝国に間接的支持が与えられた。さらに22年のベロナ会議では,スペイン革命の鎮圧がフランス軍に委嘱されたのである。…

【神聖同盟】より

ウィーン会議後の1815年9月26日,ロシア皇帝アレクサンドル1世,オーストリア皇帝フランツ1世,プロイセン国王フリードリヒ・ウィルヘルム3世がパリにおいて結んだ盟約。それはキリスト教を王制的政治秩序の基礎におき,統一的国民国家を志向するブルジョア的変革に権力的に対応するために,全ヨーロッパの王制に加盟を呼びかけたものであった。しかしそれを主導したアレクサンドル1世はセンチメンタルな宗教的夢想家で,フランツ1世もまた同時代人によって愚鈍の人とされており,彼らの盟約自体は拘束力も実効力もなく,条約としての体をなしてはいなかった。…

※「ライバハ会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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