スロベニア共和国の首都。人口24万7167(2005)。ドイツ名ライバハLaibach。標高293mの盆地のなか,リュブリャニツァの河畔にある。気候は中欧型。紀元前はイリュリア人,ケルト人が住み,エモナと称した。やがてローマ軍団が置かれ,5世紀には東ゴート族に破壊されたが,6世紀にスロベニア人が住み着いてからよみがえった。1044年リュブリャナの名が文献に初出する。14世紀ハプスブルク家の領土となり,15世紀中ごろには司教座が置かれ,商業,家内工業が飛躍的に発展した。宗教改革の時代にトルバルPrimož Trubar(1508-86)が活躍し,1550年スロベニア語初の書物を出版している。17~18世紀はバロック式の教会や貴族の館が町を飾り,ヨーロッパで2番目に古い好楽協会も誕生した(1702)。ナポレオン占領時代(1809-13)は革新政府が置かれたが,1821年には神聖同盟の会議場となるなど反動化もみられた。やがて詩人プレシェレン(1800-49)がこの地で民族の自由と独立を訴えた。49年鉄道が開通し95年には大地震に襲われた。第1次大戦後ユーゴスラビアに編入されてから現在の大学,アカデミーなどがつくられた。第2次大戦中はイタリア,つづいてドイツに占領され,有刺鉄線で閉鎖されながらも果敢な抵抗を繰り広げ,これに対し国内初の〈英雄都市〉の栄誉が授けられている。戦後の工業化はめざましく,従来のビール・タバコ・紡績工場に加え,〈リトストロイ〉機械工場や電気,化学,金属などの工場があり,企業数は800を数える。市の西部には多くのスポーツ・センターを配したティボリ公園があり,近くに国際グラフィック・ビエンナーレで知られる近代画廊,博物館などがある。中央部の小高い丘に建つ辺境伯の古城からは,バロック風の家並みやジューリ・アルプスの連山が眺められる。
執筆者:田中 一生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
スロベニア共和国の首都。ドイツ語名ライバッハLaibach、イタリア語名リビアナLybiana。人口26万4269(2002国勢調査速報値)。リュブリャニッツァ川が市中を流下する。そこに架かる三肢橋や、16世紀の大地震後、丘陵上に建てられた古城、詩聖プレーシェルン像に対面する聖告教会、ロッバ作の噴泉近くに立つ市庁舎、聖三位一体教会などバロック様式の建造物が古都をいろどっている。リュブリャナ大学(1919創立)、科学技術アカデミー、オペラ劇場、博物館、文化の大殿堂「ツァンカレウ・ドム」などが人目をひく。機械、電気・化学、薬品・食品などの諸工業が発展し、文字どおり政治、経済、文化の中心地である。スポーツ施設や遊歩道の美しいチボリ公園、郊外には国際空港もある。
[田村 律]
ローマ時代は駐屯地でエモナEmonaといわれ、アルプス、パンノニア平原、アドリア海を結ぶ中間点であった。5世紀に東ゴート人に破壊され、スラブ人によって再建された。スラブ語名リュブリャナ、12世紀にドイツ語名ライバッハが文献にみえる。1335年ハプスブルク家の支配下に入り、1849年ウィーンと鉄道で結ばれてから急速に発展、1918年セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後のユーゴスラビア王国)に編入された。以後、スロベニアが旧ユーゴスラビアを構成していた時代も、1991年に旧ユーゴスラビアからスロベニアが独立した後も、スロベニアの首都となっている。
[田村 律]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…正式名称=スロベニア共和国Republika Slovenija∥Republic of Slovenia面積=2万0251km2人口(1992)=199万人首都=リュブリャナLjubljana(日本との時差=-8時間)主要言語=スロベニア語(公用語)通貨=トラールTolarバルカン半島の北西部に位置する共和国。旧ユーゴスラビア連邦の一構成共和国であったが,1991年6月25日に独立を宣言した。…
※「リュブリャナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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