レザーシャーパフラビー(その他表記)Reḍā Shāh Pahlavī

改訂新版 世界大百科事典 「レザーシャーパフラビー」の意味・わかりやすい解説

レザー・シャー・パフラビー
Reḍā Shāh Pahlavī
生没年:1878-1944

イランパフラビー朝第1代国王。在位1925-41年。無名のイラン・コサック軍兵士出身で,レザー・ハーンReḍā Khānと呼ばれた。1921年クーデタでテヘラン戒厳司令官,次いで陸軍大臣として実権を確立し,地方の革命政権を壊滅させた。22年,アメリカから財政顧問を招き財政改革を断行した。軍部独裁の道を歩み,議会と対立した。23年,カージャール朝のアフマド・シャーを退位させたのち,自ら独裁者の大統領となろうとしたが,国民の反対をうけ,25年カージャール朝を廃してパフラビー朝をたて国王(シャー)になった。一方で社会主義者を国内で弾圧するとともに,上からの近代化を推進した。法制を整備し,27年治外法権を撤廃した。30年代から国家資本で工業化に着手した。軍部独裁のもとで,部族,宗教指導者,職人組合など伝統的に自治的な勢力が弱体化された。ナチス・ドイツに接近したため,41年連合国の圧力で退位させられ,子のモハンマド・レザー・パフラビーが即位した。
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百科事典マイペディア 「レザーシャーパフラビー」の意味・わかりやすい解説

レザー・シャー・パフラビー

イラン国王(在位1925年―1941年)。1921年クーデタに成功して軍司令官となり,国政の実権を掌握。1925年カージャール朝に代わりパフラビー朝を創設して即位した。社会主義者を弾圧するとともに中央集権化と上からの近代化を推進し,西欧列強との不平等条約の撤廃に成果をあげた。第2次大戦中英ソの圧迫で退位し,南アフリカで客死した。→モハンマド・レザー・パフラビー

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世界大百科事典(旧版)内のレザーシャーパフラビーの言及

【イラン】より

…したがって立憲革命の〈国民〉による権利闘争史としての側面は背後に押しやられてしまうこととなる。1925年にレザー・シャー・パフラビーが,立憲革命が達成しえなかったイランの完全独立を叫び,立憲制の正統なる継承者と自らを任じ,軍事独裁政権(パフラビー朝)を成立させえた条件の一つをそこに見いだすことができる。事実,レザー・シャー政権は,1921年のイラン・ソ連条約をはじめとするカピチュレーションの撤廃に成功する。…

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