一切経谷(読み)いつさいきようだに

日本歴史地名大系 「一切経谷」の解説

一切経谷
いつさいきようだに

[現在地名]山科区日ノ岡一切経谷町

粟田口あわたぐちから東山を越えて山科盆地に入ったところ、東海道に沿う。最澄の弟子、天台僧円仁がここに一切経堂を建立したが、のち応仁の乱の兵火で焼亡、廃絶したという(宇治郡名勝誌)

谷と円仁との関係は確認しがたいが、天台宗とのかかわりは明白で、「百錬抄」治承元年(一一七七)五月二一日条は明雲が天台座主を解任されて、「前座主明雲配流伊豆国、公卿定文、依時議之、今夜出本房、経廻一切経谷辺云々」と記し、同じことが「平家物語」巻二には

<資料は省略されています>

とあり、延暦寺の別所の存在が知れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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