出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
女人禁制の山岳霊場では,山ろくの女人結界地付近の堂が,登山礼拝を許されない女性たちの参籠の場となり,女人堂とよばれたが,名称や信仰形態は一様ではない。越中立山のふもとでは死者をむかえる姥をまつる姥堂,吉野大峰山の旧女人結界地には役行者(えんのぎようじや)の母をまつる母公(ははこ)堂があって,ここまでは女性の参詣が認められていた。また大津市坂本の比叡山旧登山道の結界地の上に,最澄が母と会った故地という花摘(はなつみ)堂があり,旧暦4月8日にかぎって参詣が許され,女性たちが花を供えに登ったと伝える。高野山には中世後期から近世に登山道の七口のうち6ヵ所に女人堂が建てられ,女性はここで宿泊して,各道をつなぐ尾根づたいの道をめぐって諸堂を遥拝した。1872年(明治5)に神社仏閣地の女人禁制が廃止されると,女人堂の存在は意味を失い,しだいに姿を消したが,現在も死者供養や安産・豊乳を祈る堂として土地の人々に信仰されている場合も多い。
→女人禁制
執筆者:西口 順子
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…この高野詣の功徳を説いて,諸国から参詣者を誘引したのは高野聖(ひじり)である。しかし一方高野山は山岳霊場として女人禁制であり,高野七口には女人堂があったため,石童丸説話のような哀話を生むことになった。高野聖の唱導では,高野山をひとたび踏むものはすべての罪とわざわいが消えるといったので,一般庶民も生涯一度の高野詣を果たそうとした。…
…芦峅系の立山曼荼羅に強調されている姥堂,閻魔堂,そこで行われた布橋灌頂(ぬのはしかんぢよう)の行事は特筆されるべきものである。明治期の神仏分離まで,姥堂には本尊としての姥三尊のほか,全国六十六州を模して66体の姥像が安置され,姥堂は姥石,美女杉,禿(かむろ)杉などといった女人禁制の習俗を示す伝説とは対照的に,女人堂の性格を有し,血の池地獄と対応させながら女人救済信仰が説かれてきた。また布橋灌頂は擬死再生,死後の極楽往生を約束する儀礼で,秋の彼岸の中日に閻魔堂と姥堂との間の姥堂谷(御姥ヶ谷)に架けられた橋(布橋,天の浮橋)に白布を敷いて行われ,その白布は行事の後に経帷子(きようかたびら)にして信者に頒布されてきた。…
…こうした考え方はとくに聖浄を重んじ苦行を旨とする山岳修行者に受け入れられ,修験道の隆盛や山岳信仰の発展とともに広く普及したのである。修行の霊場とされる各地の山岳では,女人堂(によにんどう)が設置され,それより奥への女人の立入りを禁止してきた。このことは大峰の都藍尼(とらんに),白山の融の姥(とおるのうば),立山の止宇呂(とうろ)に代表されるように,禁制を犯して立ち入ろうとした女性が石と化した伝説(老女化石譚)を生みだし,また高野山の石童丸(いしどうまる)の伝説はよく知られたものとなっている。…
※「女人堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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