日本歴史地名大系 「七ッ館跡」の解説 七ッ館跡ななつだてあと 秋田県:鹿角市小枝指村七ッ館跡[現在地名]鹿角市花輪 小枝指小枝指(こえさし)の集落南にあり、東から延びる舌状台地上。比高およそ二〇メートル、長さ七〇〇―八〇〇メートル、幅七〇―一〇〇メートルの台地を南北に走る数条の堀で区切り、七―一〇の郭を構成、七ッ館の通称があり、小字名に古館(ふるだて)・館神(たてがみ)・八幡館(はちまんだて)・上町(うわまち)などがある。出土遺物は縄文期から中世末期に及ぶが、館の機能をもつようになってからのものは中国の皇宋通宝・祥符元宝・洪武通宝・聖宋元宝・嘉祐通宝、土製るつぼ、太刀目貫(室町期)、鍬先形鉄器・鉄釘、それに江戸期まで北海道・千島・樺太のアイヌが使用したとされる内耳鉄鍋などである。 七ッ館跡ななつだてあと 秋田県:大館市花岡村七ッ館跡[現在地名]大館市花岡町 七ッ館花岡(はなおか)の北にある中世後期の城館跡。城形の森が七個あるゆえこの名がつくという(郷村史略)。「秋田風土記」に「昔出羽の庄司と云者居す。後浅利定頼居住す。定頼秋田実季と戦て山田村にて討死す。時に天正二年十二月廿八日なり」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by