デジタル大辞泉
「七本松通り」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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七本松通
しちほんまつどおり
豊臣秀吉による京都市街改造後に開通。北は五辻通から南は下立売通下ルまでを貫通。「坊目誌」は元和元年(一六一五)開通と記す。名称由来を宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は「此通下の森に一株七本に分れたる松あり、故に通筋の号とす」と記す。
近世初期にはこの通りを境に東が町、西が西京の村部であったらしく、「都すゞめ案内者」に「七本松通ひがしかは京地也、西がは西の京也、但シ遊女屋は京地の外也」とあるように、須麿町通(現今出川通)の七本松通西側には、北野天満宮東門前の遊郭である上七軒遊郭があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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