大報恩寺(読み)ダイホウオンジ

デジタル大辞泉 「大報恩寺」の意味・読み・例文・類語

だいほうおん‐じ【大報恩寺】

京都市上京区にある真言宗智山派の寺。山号は瑞応山。承久3年(1221)義空の開創。初め倶舎天台真言の三宗兼学で、江戸時代に真言宗となった。本堂国宝釈迦如来・十大弟子・六観音などの諸像は鎌倉時代の作。通称、千本釈迦堂

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精選版 日本国語大辞典 「大報恩寺」の意味・読み・例文・類語

だいほうおん‐じ【大報恩寺】

  1. 京都市上京区溝前町にある真言宗智山派の寺。山号は瑞応山。承久三年(一二二一)義空が開山。安貞元年(一二二七)本堂を建立して倶舎・天台・真言三宗兼学の道場となる。江戸初期、板倉勝重が真言宗に改宗。本堂は国宝。千本釈迦堂

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日本歴史地名大系 「大報恩寺」の解説

大報恩寺
だいほうおんじ

[現在地名]上京区溝前町

瑞応山と号し、真言宗智山派。俗に千本釈迦せんぼんしやか堂の名で知られ、また北野きたの釈迦堂ともよぶ。本尊釈迦如来。承久三年(一二二一)求法義空の開創で、「半陶藁」の千本大報恩寺斡縁疏(坊目誌)

<資料は省略されています>

とあり、「猫間中納言」として知られる藤原光隆の従者岸高が、この地を義空に喜捨し、承久三年に小堂を備え仏像を安置したのに始まるという。貞応二年(一二二三)に大堂建立を発願、霊夢に感じた摂津尼崎あまがさき(現兵庫県尼崎市)の材木商の寄進を受け完成した。昭和二六年(一九五一)の解体修理で発見された旧棟木の記によれば、上棟は安貞元年(一二二七)一二月二六日である。嘉禎元年(一二三五)綸命を受け、大小乗三宗弘通の道場となったが(前掲斡縁疏)、その後天台宗となる(雍州府志)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大報恩寺」の意味・わかりやすい解説

大報恩寺
だいほうおんじ

京都市上京(かみぎょう)区溝前(みぞまえ)町にある真言(しんごん)宗智山(ちさん)派の寺。新西国(さいごく)三十三所第16番札所。山号は瑞応(ずいおう)山。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。一般には千本(せんぼん)釈迦堂あるいは北野釈迦堂とよばれる。鎌倉初期、1221年(承久3)藤原秀衡(ひでひら)の孫にあたる義空(ぎくう)によって開創された。その後、1223年(貞応2)に義空は大堂の建立を発願し、摂津(せっつ)(兵庫県)尼崎(あまがさき)の材木商の寄進を受けて1227年(安貞1)に完成。大恩教主釈迦如来へ報恩謝徳のため、釈迦如来を本尊として祀(まつ)り、寺号を大報恩寺とし、倶舎(くしゃ)・天台・真言の三宗兼学とされた。その後、天台宗となり、江戸時代に真言宗となった。室町時代ころの寺領は、山城(やましろ)・播磨(はりま)・丹波(たんば)・河内(かわち)など畿内(きない)諸国に及ぶ。江戸時代には朱印寺領100石を受けている。応仁(おうにん)の乱などたびたびの火災で諸堂を焼失したが、釈迦堂(本堂)のみは創建当時のままで、京都市内最古の木造建築として、厨子(ずし)、棟木、棟札とともに国宝。本尊は快慶の弟子行快の作で、快慶晩年の作釈迦十大弟子像とともに国の重要文化財。また定慶(じょうけい)作の木造六観音(かんのん)像6躯(く)(付像内納入経8巻)、銅造誕生仏立像などの国の重要文化財を蔵する。おかめ節分会(せつぶんえ)や、中風よけ・諸病封じを祈願する12月7、8日の成道会(じょうどうえ)大根焚(た)きは有名

[野村全宏]

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改訂新版 世界大百科事典 「大報恩寺」の意味・わかりやすい解説

大報恩寺 (だいほうおんじ)

京都市上京区溝前町にある真言宗智山派の寺。俗に千本釈迦堂(せんぼんしやかどう)の名で知られる。1221年(承久3)求法上人義空(1172-1241)の開創。1363年(正平18・貞治2)足利尊氏の命で涅槃講が行われ,以後ひろく庶民の信仰を集めて今日も千本の釈迦念仏で親しまれている。本堂(釈迦堂,国宝)は1227年(安貞1)の上棟。正面5間,側面6間,入母屋造檜皮(ひわだ)葺きで,純和様建築。応仁の乱や享保15年(1730)の大火で伽藍を焼かれたが,本堂のみ残り,京都の旧市街に現存する最古の木造建築としても貴重。本堂内は鎌倉彫刻の宝庫で,本尊の釈迦如来座像(行快作)や十大弟子立像(1218,快慶作),六観音菩薩像(1224,定慶作)は他の2体の仏像とともに重要文化財。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大報恩寺」の意味・わかりやすい解説

大報恩寺
だいほうおんじ

京都市上京区にある真言宗の寺。通称,千本釈迦堂。承久2 (1220) 年に義空上人が中興した寺。本堂は安貞1 (27) 年の造立で,入母屋造,桧皮ぶき。京都市内では最古の純和様の建物とされ,国宝。本堂安置の『釈迦如来像』『十大弟子像』は堂と同時代の作で,快慶とその一門の手に成るもの。

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世界大百科事典(旧版)内の大報恩寺の言及

【和様建築】より

…奈良では鎌倉時代の興福寺北円堂(1210),同三重塔(12世紀末),法隆寺聖霊院(1284),室町時代の興福寺東金堂,同五重塔などが古代的な和様で,元興寺極楽坊本堂(1244),長弓寺本堂(1279)などは大仏様の細部をとり入れている。京都の蓮華王院本堂(1266),大報恩寺本堂(1227),滋賀県の石山寺多宝塔(1194),西明寺三重塔(鎌倉中期)なども和様の代表作である。折衷様では広島明王院本堂(1321)は禅宗様とその他の大陸の影響があり,和歌山松生院本堂(1295。…

※「大報恩寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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