七里ヶ渡(読み)しちりがわたし

日本歴史地名大系 「七里ヶ渡」の解説

七里ヶ渡
しちりがわたし

利根川の渡しで、布施ふせ村と戸頭とがしら(現茨城県取手市)を結んだ。元和二年(一六一六)幕府は当渡を江戸防衛の意味から利根川筋・江戸川筋に置いた一六の定船場の一つとして定めた(御触書寛保集成)。なおこの頃布施村付近の利根川は沼とよぶ沼であった。貞享三年(一六八六)の書上(後藤家文書)によれば渡船は三艘あり、渡船賃は一人五文・馬一疋一駄一〇文。増水時・渇水時には割増料金を徴収した。船は戸頭・布施両村の百姓が集銭して造り、船頭も両村が勤めるものとされた。とくに布施村は渡船場と往還継場の運営を負担させられ、毎日人足四人・馬四疋を差出していた(寛保元年「布施村郷差出帳」成島家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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