水戸道
みとみち
江戸と水戸を結ぶ道。水戸道中とも。この間千住(現東京都足立区)・新宿(現同葛飾区)など一九宿あるが、千葉県域は松戸宿・小金宿(現松戸市)・我孫子宿の三宿で、松戸宿までは道中奉行の管轄となっている。道筋は近世初頭より数度の付替えがあったという。古くは手賀沼北岸の台地上を通り、布佐村(現我孫子市)で利根川を渡り、元和二年(一六一六)当時定船場であった布川村(現茨城県利根町)に至るもので、佐竹街道と称されていた。天和―貞享期(一六八一―八八)に我孫子村―下総取手宿の間を取手渡(青山渡)で渡る道筋に変更され、天和二年徳川光圀はこの路程をとっている(吉岡家文書・染野家文書)。また正保期(一六四四―四八)には柏村付近で付替えがあったという。宝暦八年(一七五八)幕府が江戸大伝馬町の馬込勘解由に五街道を問合せた際、日光道中の条に水戸佐倉道を新宿から松戸までとしており(御伝馬方旧記)、日光道中付属の水戸方面・佐倉方面に通じる道として把握されていたことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の水戸道の言及
【水戸・佐倉道】より
…江戸時代の街道。日光道中の千住宿で分岐し,さらに新宿(にいじゆく)で水戸道と佐倉道に分かれる。日光道中に付属し,水戸道は松戸宿,佐倉道は八幡宿まで道中奉行支配。…
※「水戸道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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