七釜城跡(読み)しちかまじようあと

日本歴史地名大系 「七釜城跡」の解説

七釜城跡
しちかまじようあと

[現在地名]浜坂町七釜 城山

岸田きしだ川の右岸、七釜集落南東新市しんいち集落の北東丘陵に所在する。高巻たかまき城ともいい、城主田公たきみ郷を本貫とした田公氏であった。山麓との比高は一四八メートルほど。戦国期の城域は東西約一〇〇メートル・南北約三三〇メートルであるが、山上尾根筋には古い曲輪が点々と延びており、戦国期以前の城域はさらに広かったものと思われる。標高一五七・八メートルの山頂に位置する主郭(東西二二メートル・南北二〇メートル)には幅三―二〇メートルの帯曲輪を全周させ、そこからほぼ二方向に延びる尾根に階段状に七つの曲輪を配置し、城の先端部と主郭背後は堀切・竪堀で防御を固めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む