万里小路博房(読み)までのこうじ ひろふさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「万里小路博房」の解説

万里小路博房 までのこうじ-ひろふさ

1824-1884 幕末-明治時代公卿(くぎょう)。
文政7年6月25日生まれ。万里小路正房(なおふさ)の長男。文久2年新設の国事御用掛,翌年国事参政となり,尊攘(そんじょう)急進派として活躍したが,八月十八日の政変失脚。慶応3年ゆるされて参議。のち権(ごんの)中納言。維新後は宮内卿,皇太后宮大夫(だいぶ)などをつとめた。明治17年2月22日死去。61歳。

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367日誕生日大事典 「万里小路博房」の解説

万里小路 博房 (までのこうじ ひろふさ)

生年月日:1824年6月25日
江戸時代;明治時代の公卿
1884年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...

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