百科事典マイペディア 「丈部荘」の意味・わかりやすい解説
丈部荘【はせつかべのしょう】
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越中国新川郡におかれた東大寺領荘園の一つ。749年(天平勝宝1)東大寺占墾地使僧として北陸に赴いた僧綱佐官法師平栄らによって占定された。759年(天平宝字3)11月14日付の〈越中国諸郡荘園惣券〉および開田地図に〈丈部村地〉〈丈部野地〉として84町212歩の荘地が記されているのが史料上の初見である。この時点での開田面積は36町4段90歩に過ぎなかったが,767年(神護景雲1)11月16日付の〈越中国司解〉によれば,見開田は76町3段290歩で,この間に開墾が急速に進められたことが知られる。また同年5月7日付の〈越中国司解〉には初めて〈丈部庄〉という名称がみえる。その後平安時代初期を通じて荘地は約8町ほど増加したが,内部の経営はむしろ衰退し,998年(長徳4)の段階ではすでに〈庄田悉荒廃〉という状態であった。富山県下新川郡入善町の〈じょうべのま遺跡〉がその故地かとされるが,なお異説もあり,確かではない。
執筆者:鎌田 元一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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