三井家発祥地(読み)みついけはつしようち

日本歴史地名大系 「三井家発祥地」の解説

三井家発祥地
みついけはつしようち

[現在地名]松阪市本町

三井家は中世近江佐々木氏の臣で一城の主であったが、その滅亡とともに伊勢に流浪、越後守高安の子高俊の時松坂に居住。高俊は丹生にゆう(現多気郡勢和村)の豪商永井氏の娘(珠法)を娶り、味噌・酒・質商を始めた(宗寿大居士行状、家伝記、商売記)。元祖高利は高俊の末子(八人兄弟)である。はじめ江戸に出ていたがやがて帰って家業を継いだ。延宝元年(一六七三)江戸本町一丁目に呉服店を、京都薬師町に呉服仕入店を開き、各々に子供を配し、自らは当地で総指揮をとった。引札ひきふだ(チラシ)を使い、現金掛値なし、薄利多売の店頭売りという新法を考案、のち両替も行った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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