博労町(読み)ばくろうまち

日本歴史地名大系 「博労町」の解説

博労町
ばくろうまち

[現在地名]米子市博労町一―四丁目・糀町こうじまち二丁目・富士見町ふじみちよう一丁目・東山町ひがしやまちよう

糀町の北東、米子城下北東端に位置する。東は勝田かんだ村。糀町から勝田村へ通る出雲街道と重なる伯耆街道両側の町人町。街道沿い(現JR境線博労町駅付近)に枡形と一里塚が設けられていた(鹿島家蔵絵図)。馬喰町とも書く(宝永六年「伯耆国米子平図」県立博物館蔵など)。総間数一六四間余。糀町境東こうじまちざかいひがし小路(二七間)、西裏の新借屋しんじやくや(四五間)があった(明治二年「町々間数等書上」米子市史)。元禄八年(一六九五)の米子町中竈之覚(米子市史)では家持六三軒・借家一八軒。町裏では農業を営む者も多く、福原ふくばら地区の田畑の小作人もいた。文化元年(一八〇四)の下札に基づく生高二二石余、物成一三石余(同書)。町禄として牛馬売買株を与えられ、年間数回の牛馬市が町内で催された。安政七年(一八六〇)当町から提出された願書(在方諸事控)によれば、四月は一〇日頃から三日、五月は半夏から三日、九月は四日より節句後までに三日、同月二〇日より月末までに四日の四回計一三日開催していたことがわかる。


博労町
ばくろうまち

[現在地名]延岡市博労町

延岡城の北東、五ヶ瀬川北岸に位置する。もと町と紺屋こんや町の接点から北に延びる南北道沿いの両側町。延岡城下七町の一。元和元年(一六一五)岡富おかとみ村のうちを町割して形成された(延陵世鑑)。町の長さ南北一〇二間・道幅三間(正徳三年「御城并町在所々覚書」内藤家文書)。延享四年(一七四七)頃の延岡町中竈数人高等寄帳(同文書)によれば軒数六四(本竈・店借とも)・人数二三九、医師一、酒株一の酒屋三軒。文政一一年(一八二八)宗門人別改帳(同文書)によれば人数二七二。慶応二年(一八六六)の人数二八四(「宗門人別改帳」同文書)町役人として別当一名・乙名二名・小触一名がおり、別当は有馬氏時代から給地を与えられていた。


博労町
ばくろうまち

[現在地名]金沢市丸の内まるのうち大手町おおてまち尾張町おわりちよう一―二丁目・博労町

城の西町口にしちようぐち御門より北上する通りに沿う。北は西内総構堀、南は十間じつけん町の通りに限られ、東は上今かみいま町・尾張町・しん町、西は上近江かみおうみ町・下近江町・ふくろ町。両側町で本町。町名は町内に伝馬役所が置かれ、博労の居住が多かったことにちなむ。馬労町とも記し、古くは尾山おやま町と称したという(金沢古蹟志)。伝馬役所は竹屋仁兵衛宅に設けられていた。また町会所も前田利家の金沢入部より慶長二年(一五九七)までは同宅に置かれたという(「温故集録」加越能文庫)


博労町
ばくろうちよう

[現在地名]宇都宮市駅前通えきまえどおり一丁目・今泉いまいずみ一丁目

川北方、奥州街道筋の宇都宮城下最北端の町人町。四方を今泉村に囲まれ、緩やかな勾配のある台地状地域。松平忠弘時代の城下図(東大史料編纂所蔵)馬喰ばくろう町と記される。古くは今泉村の小字であったと思われ、明暦二年(一六五六)の今泉村の検地帳(古泉美太郎旧蔵文書)に坪名として「ばくろう町」があり、耕作者四〇筆三六人がみえ、屋敷一四が記される。宝永七年(一七一〇)の町分掃除丁場は四番組一一九間のうち六四間を受持ち、城内草刈人足は二人を差出す(宇都宮史)


博労町
ばくろうちよう

[現在地名]近江八幡市博労町元ばくろうちようもと博労町中ばくろうちようなか博労町上ばくろうちようかみ

江南えなみ町の南に続いて博労町通に沿う縦町で、両側町。北は京街道きようかいどう通、南は上筋かみすじ通を限り、北から博労町元・博労町中・博労町上の三町からなる。南端の博労町上は上筋通沿いにも及んでいる。馬喰町とも記した。元禄町絵図では博労町中の東側に浄土宗願故がんこ寺が西面して描かれる。八幡城下形成以前には市井いちい村に所属していたとか、安土城下博苦労ぱくろう町を移して成立したともいわれるが不詳。また路上で馬をつなぐためにとくに道幅を広くしてあったという(八幡町史)。天正一四年(一五八六)六月、豊臣秀次が八幡町に下した掟書(近江八幡市共有文書)の第一二条に「博労之儀、国中馬売買悉於当町中可仕」とある。


博労町
ばくろうまち

[現在地名]会津若松市上町うわまち相生町あいおいまち

六日むいか町の北に続き、北端は滝沢たきざわ町に接する。文禄二年(一五九三)初めてこの町を置き、馬を売買する伯楽が多かったので、転じて馬喰が博労になった。当初は馬場掃除のため町役が免除されていたが、寛永四年(一六二七)加藤氏時代には馬の売買も行われなくなったため町役を命ぜられた。寛文七年(一六六七)一〇月より再び馬市を仰せ付けられたものの(家世実紀)、貞享元年(一六八四)には馬市が停止され、行人ぎようにん町に移されてしまった。


博労町
ばくろうまち

[現在地名]東区博労町四丁目

茨木いばらぎ町の西に続く両側町で、栴檀木せんだんのき筋より丼池どぶいけ筋・心斎橋しんさいばし筋を経て御堂みどう筋の少し西まで。慶長二〇年(一六一五)大坂濫妨人并落人改帳に「はくろう町四丁目」とあり、この頃博労町通があったと推定される。江戸時代初期には馬責場町(初発言上候帳面写)、または博労町五丁目(明暦元年大坂三郷町絵図)といったが、延宝八年(一六八〇)博労町となった(安政三年「水帳」大阪市立中央図書館蔵)


博労町
ばくろうまち

[現在地名]出石町松枝まつがえ

小御料庄こごろしよう町の南に続く町人町(端町)で、武士も混住していた。出石川(現在の谷山川)の西岸にあたり、対岸東方はやなぎ町、西は上馬場かみばば町。竪町は小御料庄町竪町の南に続く道の両側町で、長さ一三三間・幅二間、南は松畷を経て鍛冶屋かじや村に至った。竪町の東に並行して出石川沿いを南北に細道が通り、竪町からこの細道に向けて数条の細間が延び、うち一筋はしん橋に通じる道であった(文化七年城下絵図など)。宝暦一二年(一七六二)の出石領地取調書(林真一氏旧蔵文書)では町家数六五、地子米は一一石余であったが、引高があり現納一〇石余。前掲城下絵図に記載される肩書や一定の職業を連想させる屋号などからみると、当時その職業を生業としていたとは断定はできないものの当町には豆腐屋四・大工三・馬屋二、紺屋・髪結・米屋・塩屋・酒屋・鍋屋・小細工・桶屋・石屋各一などの町人が住し、ほかに作人三、屋号をもつ家(職種不明)二三、附主三・坊主一、足軽一一・中間六。


博労町
ばくろちよう

[現在地名]松阪市本町

「権輿雑集」に引く蒲生氏郷時代の石黒貞秀判物、続く古田重勝時代の同人判物に「馬町」ないし「馬くろ町」とあって、松坂建設とともに博労の集住する一画が設置されたことが知られる。同書には「天正十六子年松ケ嶋より移、伝馬役勤ニ付無丁役、伝馬三拾一疋、元和九亥年三月長野九左衛門某被定置之由、往古の年寄神部氏の記ニ見へたり、右の伝馬毛替料として、承応二年より御金九十三両年賦に拝借し来之由、馬士五左衛門覚にあり」とみえ、元和九年(一六二三)に伝馬三一疋が設定されたとする。


博労町
ばくろうちよう

[現在地名]青森市青柳あおやぎ二丁目の一部

こめ町の東に続く町。初めうま町とよばれ、馬喰町とも書く。

しお町・たばこ町と同じく寛文四年(一六六四)に町割され「寛文四年自同八年迄五年之間無役同九年自壱軒に付地質金拾文つゝ上納可仕」きことで成立した(青森市沿革史)。寛文年間の絵図(市立弘前図書館蔵)に「蜆貝町派」とある。寛文九年以後度々馬市が開かれ「外ケ浜中馬売買の儀、先規相定め候通り青森馬町にて売買可仕、若於脇売買仕候はゞ双方銀子一枚宛可為過料者也」と馬取引の特権が与えられた(青森市沿革史)


博労町
ばくろうまち

[現在地名]小矢部市八和町やつわまち

やなぎ町と中飯田なかいいだ・下飯田両町とを結ぶ南北道に沿う両側町。散町に属する。バクロマチともいう。寛保二年(一七四二)には宅地一千七六四歩で、地子米一一石九升余(一歩につき六合一勺余)であった(今石動由来)。天明六年(一七八六)の家数四二(紺屋島家文書)


博労町
ばくろうまち

[現在地名]小倉北区京町きようまち三―四丁目

京町七―十二丁目の北にあり、北部は海に臨む。西は新魚しんうお町に連なる。万覚書(永青文庫)元和一〇年(一六二四)三月一一日条に「東小倉八町、ばくろう町」の門番鍵のことがみえる。寛永九年(一六三二)小笠原氏に随従した播磨の三木屋は当町に居住した(小倉商家由緒記)。町並は東西に延び、幕末の藩士屋敷絵図では東部は武家屋敷が一八軒並び、門司もじ口まで続く。


博労町
ばくろうまち

[現在地名]姫路市博労町

姫路城南西、外曲輪の西にある町人町。船場本徳せんばほんとく寺の東に位置する南北の町筋。馬を扱うので道幅は広く(姫路府志)、牛市場もあったという(大正八年刊「姫路市史」)。慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)の侍屋敷新絵図に町名がみえる。姫路町書上帳、元文五年(一七四〇)姫路町飾万津町地子銀控によれば家数七四・地子銀四〇一匁余。


博労町
ばくろうまち

[現在地名]松任市博労町

馬場ばば町の東に続く後町うしろまち通の両側町で本町。天明五年(一七八五)の町絵図(松任市立博物館蔵)に町名がみえ、両側とも町家の屋並が描かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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