国指定史跡ガイド 「三十三間堂官衙遺跡」の解説
さんじゅうさんげんどうかんがいせき【三十三間堂官衙遺跡】
宮城県亘理(わたり)郡亘理町逢隈下郡(おおくましもごおり)にある平安時代の遺跡で、当時の地方政庁である亘理郡家(ぐうけ)跡と推定されている。阿武隈川下流南岸の丘陵上にあり、1986年(昭和61)から1988年(昭和63)の発掘調査で遺跡の性格、範囲、主要遺構とその変遷が明らかになり、1992年(平成4)に国指定史跡となった。亘理郡の名は、『続日本紀』『日本後紀』『日本三代実録』などの正史に見られ、『和名抄』『延喜式』でもその存在が古くから確認されている。遺跡はおよそ9世紀から10世紀前半のもので、北と南に大きく分かれる。北は、北と東に溝のある東西約180m、南北約200mの区画である。その中央付近に塀で仕切られていた東西約50m、南北約60mの特別な区画がある。遺構配置の特徴が国衙(こくが)や城柵(じょうさく)などの政庁と共通するところから、ここが郡庁院であり、その周辺が郡家に付属する官衙施設(官庁街)と考えられている。南の区画から、10棟の礎石倉庫跡などが発見され、いわゆる正倉地区であると推定される。全体に、郡家の基本的構成要素である郡庁院・官衙地域・正倉地区が揃い、そのほぼ全容が解明されたうえに、保存状況が良好である点で貴重な遺跡である。また、他の郡家は、多くが9世紀以降に急速に衰退しているのに対して、亘理郡家は10世紀前半まで存続している点から古代の東北地方における統治機構の推移を知る重要な遺跡といえる。JR常磐線逢隈(おおくま)駅から徒歩約10分。