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三千家 サンセンケ

大辞林 第三版の解説

さんせんけ【三千家】

茶道で、表千家・裏千家・武者小路千家の三家の称。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三千家
さんせんけ

茶道の流派のなかで、千利休(せんのりきゅう)の直系の表千家、裏千家、武者小路(むしゃのこうじ)千家の3家をよぶ通称名。利休の孫宗旦(そうたん)には4人の男子がいたが、長男宗拙(そうせつ)は早くに家を出、二男一翁宗守(いちおうそうしゅ)は京都の塗師吉岡家に養子として入っていた。三男江岑(こうしん)宗左が紀州徳川家の茶頭(ちゃどう)として有付(ありつき)をしたあと、70歳を迎えた宗旦は、不審庵(ふしんあん)を宗左に譲り、四男仙叟(せんそう)宗室を連れて北裏に今日庵(こんにちあん)、寒雲亭(かんうんてい)さらに又隠(ゆういん)の席をつくり移り住んだ。これを宗室に譲ったことから表千家不審庵、裏千家今日庵が独立し、さらに二男宗守が千家に戻り官休庵(かんきゅうあん)を建てることによって三千家が分立した。しかし「三千家」の呼称がいつおこったのかは不明である。[筒井紘一]

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世界大百科事典内の三千家の言及

【表千家流】より

…ここに表千家と裏千家が成立した。のち宗旦の次男一翁宗守が官休庵を起して武者小路千家流を称し,三千家が成立した。この4世江岑宗左(逢源斎,堪笑軒)は30歳のとき紀伊徳川家に仕えた。…

【武者小路千家流】より

表千家流の不審庵,裏千家流の今日庵とともに,一翁が建てた京都武者小路西洞院の茶席〈官休庵〉が流儀の別名ともなっている。利休の主張する茶禅一味のわび茶の風を伝える三千家の一つとして知られる。初代一翁宗守(1593‐1675)は宗旦の先妻の子。…

※「三千家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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