改訂新版 世界大百科事典 「武者小路千家流」の意味・わかりやすい解説
武者小路千家流 (むしゃのこうじせんけりゅう)
千利休を流祖とする茶道流派の一つ。利休の孫宗旦の次男一翁宗守を初代とし,代々宗守を名乗る。表千家流の不審庵,裏千家流の今日庵とともに,一翁が建てた京都武者小路西洞院の茶席〈官休庵〉が流儀の別名ともなっている。利休の主張する茶禅一味のわび茶の風を伝える三千家の一つとして知られる。初代一翁宗守(1593-1675)は宗旦の先妻の子。幼くして塗師吉文字屋与三右衛門の養子となり,甚右衛門を名乗っていたが,弟の江岑(こうしん)が〈表千家〉,仙叟(せんそう)が〈裏千家〉をおこすに及んで,晩年吉文字屋を塗師中村宗哲に譲って千家に復し,大徳寺の玉舟宗璠,金閣寺の鳳林承章のもとで参禅弁道して〈武者小路千家〉をおこす。高松藩松平家に茶道をもって仕え,似休斎と号す。以後,明治に至るまで代々同家の茶道として仕えた。一翁の子で2代を継いだ文叔宗守(ぶんしゆくそうしゆ)(1658-1708)は,近衛予楽院家煕の〈茶杓(ちやしやく)簞笥〉に極め書を書いたり,鑑定を仰せ付けられるなど,当代一の教養人家熙のもとに出入りしている。3代真伯宗守の代には,家宝として伝来していた楽長次郎作〈木守〉茶碗を松平家に献上している。8代一指斎宗守は裏千家9代不見斎石翁の子として生まれ,官休庵へ養子に入っている。現在,武者小路千家の茶は京都と高松を中心に広く伝えられている。
執筆者:筒井 紘一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報