茶道流派の一つ。藪内宗把(そうは)を遠祖とし武野紹鴎(たけのじょうおう)の門弟藪内紹智(じょうち)(1536―1627)を1世とし、当代の14世竹卿(ちっけい)紹智(1967― )に至る。江戸時代を通じて西本願寺の庇護(ひご)を受けてきたため、利休(りきゅう)以前の古風な茶の形態を保つ。京都の上京(かみぎょう)に位置する三千家(せんけ)を上(かみ)流と称するのに対し、下京(しもぎょう)の藪内家を下(しも)流と称している。邸内にある織部(おりべ)好みの茶席燕庵(えんなん)をもって代表させている。初代剣仲(けんちゅう)紹智は紹鴎の死後、兄弟子利休について台子(だいす)伝授を受けたと伝える。妻は織部の妹。2世真翁(しんおう)紹智は剣仲の子、月心軒と号す。本願寺良如上人(りょうにょしょうにん)の知遇を得て寺領の一部を拝領し、移り住んだのが現在の屋敷。聚楽第(じゅらくだい)内にあった燕庵を移築。3世剣翁(けんおう)紹智は真翁の子、号雲脚亭(うんきゃくてい)。4世剣渓(けんけい)紹智は剣翁の子、号蕉雲斎(しょううんさい)。5世竹心(ちくしん)紹智はもと大垣藩の儒者で女婿(じょせい)、号不住斎。中興の祖と称される。『源流茶話(げんりゅうちゃわ)』などを書き利休回帰を提唱。6世竹陰(ちくいん)紹智は北尾春倫(しゅんりん)の甥(おい)。比老斎、運脚子(うんきゃくし)と号す。7世竹翁(ちくおう)紹智はもと大和郡山(やまとこおりやま)藩士。号桂隠斎(けいいんさい)。剣仲200回忌、利休250回忌、織部200回忌を勤めた。8世竹猗(ちくい)紹智は参翁紹予(さんおうじょうよ)の子、号真々斎、和宮(かずのみや)の茶道師範。9世竹露(ちくろ)紹智は珍牛斎紹庵の子、号宝林斎。10世竹翠(ちくすい)紹智はもと大聖寺(だいしょうじ)藩典医福田氏の出で養子、号休々斎、篠園(じょうえん)会を結成。11世竹窓紹智は竹露の長男、号透月斎(とうげつさい)。12世竹風紹智は竹窓の長男、号猗々斎(いいさい)。13世竹仲(ちくちゅう)は竹風の長男、青々斎と号す。
[筒井紘一 2018年4月18日]
桃山時代に成立した茶道流派の一つ。藪内宗把(巴)を遠祖とし,藪内剣仲紹智(けんちゆうじようち)を1世として,12世竹風紹智の今日まで連綿として伝わる。藪内流は,京都西本願寺を背景に栄えたが,その茶法は書院風の古格を最もよく残している。千家が上京(かみぎよう)に屋敷を構えていたので,その茶道を上流(かみりゆう)と称するのに対し,下京(しもぎよう)に屋敷を持っていた藪内流の茶道は下流(しもりゆう)と称された。この屋敷は剣仲の子で2世真翁紹智(1580-1655)が本願寺の良如上人の知遇を得て寺領の一部を拝領したものであり,ここに流儀の基礎が確立されたといってよい。また古田織部が剣仲に与えたという茶室の燕庵(えんあん)もこのとき移築された。
執筆者:筒井 紘一
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