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藪内流 ヤブノウチリュウ

デジタル大辞泉の解説

やぶのうち‐りゅう〔‐リウ〕【×藪内流】

茶道の分派の一。藪内宗巴を遠祖とし、その養子剣仲紹智(けんちゅうじょうち)が千利休に師事して創始。比較的古風を保つ。三千家を上流というのに対し下流という。藪内。

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百科事典マイペディアの解説

藪内流【やぶのうちりゅう】

桃山時代に成立した茶道流派の一つ。初世家元は千利休に師事したといわれる藪内剣仲紹智(じょうち)〔1536-1627〕。上流(かみりゅう)と呼ばれた三千家に対して下流(しもりゅう)と称された。

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世界大百科事典 第2版の解説

やぶのうちりゅう【藪内流】

桃山時代に成立した茶道流派の一つ。藪内宗把(巴)を遠祖とし,藪内剣仲紹智(けんちゆうじようち)を1世として,12世竹風紹智の今日まで連綿として伝わる。藪内流は,京都西本願寺を背景に栄えたが,その茶法は書院風の古格を最もよく残している。千家が上京(かみぎよう)に屋敷を構えていたので,その茶道を上流(かみりゆう)と称するのに対し,下京(しもぎよう)に屋敷を持っていた藪内流の茶道は下流(しもりゆう)と称された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藪内流
やぶのうちりゅう

茶道流派の一つ。藪内宗把(そうは)を遠祖とし武野紹鴎(たけのじょうおう)の門弟藪内紹智(じょうち)(1536―1627)を1世とし、現在の13世竹中(ちくちゅう)紹智(1936― )に至る。江戸時代を通じて西本願寺の庇護(ひご)を受けてきたため、利休(りきゅう)以前の古風な茶の形態を保つ。京都の上京(かみぎょう)に位置する三千家(せんけ)を上(かみ)流と称するのに対し、下京(しもぎょう)の藪内家を下(しも)流と称している。邸内にある織部(おりべ)好みの茶席燕庵(えんなん)をもって代表させている。初代剣仲(けんちゅう)紹智は紹鴎の死後、兄弟子利休について台子(だいす)伝授を受けたと伝える。妻は織部の妹。2世真翁(しんおう)紹智は剣仲の子、月心軒と号す。本願寺良如上人(りょうにょしょうにん)の知遇を得て寺領の一部を拝領し、移り住んだのが現在の屋敷。聚楽第(じゅらくだい)内にあった燕庵を移築。3世剣翁(けんおう)紹智は真翁の子、号雲脚亭(うんきゃくてい)。4世剣渓(けんけい)紹智は剣翁の子、号蕉雲斎(しょううんさい)。5世竹心(ちくしん)紹智はもと大垣藩の儒者で女婿(じょせい)、号不住斎。中興の祖と称される。『源流茶話(げんりゅうちゃわ)』などを書き利休回帰を提唱。6世竹陰(ちくいん)紹智は北尾春倫(しゅんりん)の甥(おい)。比老斎、運脚子(うんきゃくし)と号す。7世竹翁(ちくおう)紹智はもと大和郡山(やまとこおりやま)藩士。号桂隠斎(けいいんさい)。剣仲200回忌、利休250回忌、織部200回忌を勤めた。8世竹猗(ちくい)紹智は参翁紹予(さんおうじょうよ)の子、号真々斎、和宮(かずのみや)の茶道師範。9世竹露(ちくろ)紹智は珍牛斎紹庵の子、号宝林斎。10世竹翠(ちくすい)紹智はもと大聖寺(だいしょうじ)藩典医福田氏の出で養子、号休々斎、篠園(じょうえん)会を結成。11世竹窓紹智は竹露の長男、号透月斎(とうげつさい)。12世竹風紹智は竹窓の長男、猗々斎と号す。[筒井紘一]

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