三千風(読み)ミチカゼ

デジタル大辞泉 「三千風」の意味・読み・例文・類語

みちかぜ【三千風】

大淀三千風おおよどみちかぜ

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「三千風」の意味・読み・例文・類語

みちかぜ【三千風】

  1. みついみちかぜ(三井三千風)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「三千風」の意味・わかりやすい解説

三千風 (みちかぜ)
生没年:1639-1707(寛永16-宝永4)

江戸前期の俳人。本姓は三井,自ら大淀を称す。名は友翰。別号は梅睡,無不非軒,寓言堂,呑空居士,東往居士など二十数種。伊勢射和(松阪市射和町)の商家の出身。若くより俳諧に志し,1669年(寛文9)から約15年仙台に居住。流行の矢数俳諧に挑戦し,1日独吟2800句に成功。追加200句とともに《仙台大矢数》と名付け,西鶴の手によって刊行された。三千風の号はこの矢数俳諧にちなむ。仙台では多くの門弟を擁し,仙台俳壇の基礎を築く。芭蕉の《おくのほそ道》に登場する画工加右衛門も三千風の高弟であった。81年(天和1)から約7年,全国を行脚して《日本行脚文集》(1690)を編む。95年(元禄8)には西行遺跡の大磯鴫立沢(しぎたつさわ)に庵を営み,97年が西行五百年忌に当たるとし,西行堂を建立したり,謡曲《鴫立沢》を作ったりして旧跡興隆をはかった。さらに,鴫を詠んだ詩歌俳を募って《和漢田鳥集》(1701)を刊行。また,3度にわたって九州を訪れ,門流を残した。しかし,終生談林系の地方俳人として過ごし,傍流であった。編著は他に《松島眺望集》《法語三人物語》等。〈一口鉢犬西行にほととぎす〉(《日本行脚文集》)。なお,三千風が営んだ庵はその後俳諧関係者によって継承され,鴫立庵の名を伝えている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三千風」の意味・わかりやすい解説

三千風
みちかぜ
(1639―1707)

江戸初期の談林系俳人。本姓は三井、自ら大淀(おおよど)を称す。名は友翰(ゆうかん)、別号は梅睡、呑空(どんくう)、寓言堂(ぐうげんどう)、東往居士(とうおうこじ)など二十数種。伊勢(いせ)国射和(いざわ)(松阪市)の商家に生まれたが、早く俳諧(はいかい)に志し、31歳の秋松島に赴く。仙台に15年居住し、『仙台大矢数(おおやかず)』『松島眺望集』を刊行。1683年(天和3)から7年間、全国を行脚(あんぎゃ)して『日本行脚文集』をなす。95年(元禄8)西行遺跡の大磯鴫立沢(おおいそしぎたつさわ)に庵(いおり)を再興。宝永(ほうえい)4年1月8日郷里で没す。墓所は射和共同墓地。編著『法語三人物語』『倭漢田鳥集』など。

[岡本 勝]

 三日月を踏まへて落つる雲雀哉(ひばりかな)

『岡本勝著『大淀三千風研究』(1971・桜楓社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三千風」の解説

三千風 みちかぜ

大淀三千風(おおよど-みちかぜ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android