矢数俳諧(読み)やかずはいかい

精選版 日本国語大辞典 「矢数俳諧」の意味・読み・例文・類語

やかず‐はいかい【矢数俳諧】

〘名〙 俳諧形式一つ。京都三十三間堂の「通し矢」にならって、一昼夜または一日のあいだに独吟句数を競った俳諧興行大句数(おおくかず)大矢数矢数
※俳諧・西鶴大矢数(1681)序「一日四千句の矢数俳諧を吟ず」

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デジタル大辞泉 「矢数俳諧」の意味・読み・例文・類語

やかず‐はいかい【矢数俳諧】

俳諧形式の一。一昼夜または1日の間に独吟で句数の多さを競う俳諧興行。京都三十三間堂通し矢の数を競うのに倣ったもの。初め大句数おおくかずと称した。延宝5年(1677)大坂生玉いくたま本覚寺井原西鶴の行った1600句独吟が最初で、貞享元年(1684)に西鶴が2万3500句独吟の記録達成。→大句数

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「矢数俳諧」の意味・わかりやすい解説

矢数俳諧
やかずはいかい

俳諧形式。京都三十三間堂の通し矢の競技に倣い、一昼夜もしくは一日の間に独吟でできるだけ多くの句をつくり、その数を競う俳諧興行。1677年(延宝5)5月に大坂生玉(いくたま)の本覚寺で井原西鶴(さいかく)が千六百句独吟の矢数俳諧を興行(俳諧大句数)したのが最初で、4か月後には大和(やまと)の月松軒紀子(きし)が奈良極楽院で一昼夜独吟千八百句を、さらに1679年3月には仙台の大淀三千風(おおよどみちかぜ)が一昼夜三千句を興行し、記録を更新。そこで西鶴は翌年5月生玉社南坊で二度目の矢数俳諧独吟四千句に挑戦し成功(西鶴大矢数)、さらに1684年(貞享1)6月住吉(すみよし)社頭で二万三千五百句の前人未到の記録を樹立し、「神力誠(しんりきまこと)を以(もって)息の根留(とむ)る大矢数」と、自ら創始した矢数俳諧に終止符を打った。

[雲英末雄]

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世界大百科事典 第2版 「矢数俳諧」の意味・わかりやすい解説

やかずはいかい【矢数俳諧】

俳諧形式。京都の蓮華王院三十三間堂で行われた矢数(通し矢)の武技に模し,一昼夜24時間以内にできるだけ数多くの句数を詠み競うこと,またその俳諧をいう。通し矢は1662年(寛文2)に尾張藩士星野勘左衛門が6600本,68年に紀州藩士葛西団右衛門が7000余本を記録したが,翌年再び星野が挑んで総矢1万542本中通し矢8000余本の新記録を樹立,総一(天下一)を称した。この競技に刺激された西鶴は,77年(延宝5)5月25日大坂生玉本覚寺で1600韻の独吟に成功,《西鶴俳諧大句数》と題して刊行した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「矢数俳諧」の意味・わかりやすい解説

矢数俳諧
やかずはいかい

俳諧の形式。京都の三十三間堂で行われる弓術の大矢数にならって,1日または1日1夜につくる句数を競う俳諧の興行。談林の時代に特に盛行。よく知られるものは延宝5 (1677) 年西鶴 1600句,同年紀子 1800句,同7年三千風 (みちかぜ) 3000句,同8年西鶴 4000句,延宝末年才麿1万余句,貞享1 (84) 年西鶴2万 3500句,延享4 (1747) 年白羽1万句など。

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