俳諧形式。京都の蓮華王院三十三間堂で行われた矢数(通し矢)の武技に模し,一昼夜24時間以内にできるだけ数多くの句数を詠み競うこと,またその俳諧をいう。通し矢は1662年(寛文2)に尾張藩士星野勘左衛門が6600本,68年に紀州藩士葛西団右衛門が7000余本を記録したが,翌年再び星野が挑んで総矢1万542本中通し矢8000余本の新記録を樹立,総一(天下一)を称した。この競技に刺激された西鶴は,77年(延宝5)5月25日大坂生玉本覚寺で1600韻の独吟に成功,《西鶴俳諧大句数》と題して刊行した。ところが同年月松軒紀子(きし)が1800韻(《大矢数千八百韻》),79年大淀三千風(みちかぜ)が2800韻(《仙台大矢数》)の独吟に成功し,西鶴の記録を破った。これに奮起した西鶴は,翌年5月7日生玉社南坊で再度4000句独吟に挑戦,みごとに成功して翌年《西鶴大矢数》と題して刊行したが,才麿(さいまろ),一晶(いつしよう)らの一万数千句独吟に再び発奮,84年(貞享1)6月5日摂津住吉社前で〈神力誠を以(もつて)息の根留る大矢数〉を巻頭発句に,2万3500句速吟というはなれわざを演じ,矢数の覇権争いに終止符を打った。速吟・多吟は俳諧の特質である狂言・利口の発展的な帰結であり,また商業資本主義経済の発達に伴う商品の大量生産とも無関係ではなかったが,度を越してことばの遺失を招いたことは,俳諧史上おおいに悔やまれることであった。
執筆者:乾 裕幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
俳諧形式。京都三十三間堂の通し矢の競技に倣い、一昼夜もしくは一日の間に独吟でできるだけ多くの句をつくり、その数を競う俳諧興行。1677年(延宝5)5月に大坂生玉(いくたま)の本覚寺で井原西鶴(さいかく)が千六百句独吟の矢数俳諧を興行(俳諧大句数)したのが最初で、4か月後には大和(やまと)の月松軒紀子(きし)が奈良極楽院で一昼夜独吟千八百句を、さらに1679年3月には仙台の大淀三千風(おおよどみちかぜ)が一昼夜三千句を興行し、記録を更新。そこで西鶴は翌年5月生玉社南坊で二度目の矢数俳諧独吟四千句に挑戦し成功(西鶴大矢数)、さらに1684年(貞享1)6月住吉(すみよし)社頭で二万三千五百句の前人未到の記録を樹立し、「神力誠(しんりきまこと)を以(もって)息の根留(とむ)る大矢数」と、自ら創始した矢数俳諧に終止符を打った。
[雲英末雄]
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