三好久太郎(読み)ミヨシ キュウタロウ

20世紀日本人名事典 「三好久太郎」の解説

三好 久太郎
ミヨシ キュウタロウ

明治〜昭和期の化学技術者 日本染料取締役。



生年
明治5年1月(1872年)

没年
昭和9(1934)年12月11日

出生地
加賀金沢(石川県)

学歴〔年〕
東京帝大工科大学応用化学科〔明治29年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔大正4年〕

経歴
明治29年八幡製鉄所技手となり、30年ドイツに出張、製鉄技術を研究し32年帰国。33年技師、45年再びヨーロッパへ派遣された。45年大阪瓦斯副技師長に転じ、大正5年技師長、7年日本染料製造取締役技師長に就任。製鉄用炉杤の研究、製鉄燃料の改善、コールタール染料タール原料とする化学工業の基礎形成などに大きく貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三好久太郎」の意味・わかりやすい解説

三好久太郎
みよしきゅうたろう
(1872―1934)

化学技術者。士族の子として金沢に生まれる。1896年(明治29)東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業。八幡(やはた)製鉄所(現、日本製鉄九州製鉄所八幡地区)技手となり、1897年ドイツに出張、製鉄技術を研究して帰国した。1900年(明治33)製鉄所技師となり、コークスおよび炉材部門を担当し、再度ヨーロッパに派遣されるなどした。1912年(大正1)製鉄所技師を辞め、大阪瓦斯(ガス)株式会社に入り、1915年に工学博士。1916年大阪瓦斯技師長となった。1918年には日本染料製造株式会社(現、住友化学)取締役技師長に就任した。製鉄用炉材の研究や製鉄燃料の改善のほか、コールタール染料をはじめとする化学工業確立のための基礎形成に大きく寄与した。

山崎俊雄

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三好久太郎」の解説

三好久太郎 みよし-きゅうたろう

1872-1934 明治-昭和時代前期の化学技術者。
明治5年1月21日生まれ。八幡(やはた)製鉄所技師をへて大阪瓦斯(ガス)の技師長,日本染料製造の取締役技師長などをつとめた。製鉄用炉材の研究,タールの化学利用の開発などに貢献。昭和9年12月11日死去。63歳。石川県出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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