日本歴史地名大系 「三宅寺」の解説 三宅寺みやけじ 福岡県:福岡市南区三宅村三宅寺三宅廃寺とかかわりがあると推定される古代末―中世の寺院。「醍醐雑事記」には応徳二年(一〇八五)に創建された山城醍醐寺円光(えんこう)院の末寺「筑前国三宅寺」が記される。末寺として寄進され円光院領となった時期は寛治五年(一〇九一)、田数は五〇町、寺家年貢は三〇石、領家は僧寿円とある。寿円は寄進以前、寛治三年に官符によって三宅寺別当に補任されていたが、前帥卿(嘉保元年六月大宰権帥に任じられた源経信)が本寺に知らせずに他門の僧円証を別当に補任した。永長二年(一〇九七)八月一六日、寿円の訴えに基づいて円光院から解状が出され、同月二七日寿円の三宅寺寺務執行を認める宣旨が出された(「官宣旨案」醍醐雑事記/平安遺文四)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by