円光院(読み)えんこういん

日本歴史地名大系 「円光院」の解説

円光院
えんこういん

[現在地名]甲府市岩窪町

岩窪いわくぼ町東方の山麓にある。瑞巌山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。府中五山の一つ。逸見清光の草創で清光院と号し、もともとは小石和こいさわ(現石和町)にあったといい、武田信守が再興して父信重の位牌を納め、その諡号にちなんで寺号を成就じようじゆ院と改めたと伝える(甲斐国志)。由緒書(寺記)によれば、武田信重開基の成就院を永禄年中(一五五八―七〇)武田信玄が現在地に移して再興、説三を開山として招聘した。


円光院
えんこういん

[現在地名]多気町平谷

向平谷むかいひらだににある。山号花隆山。真言宗山階派。本尊阿弥陀如来。本堂右前に薬師堂がある。宝篋印塔境内に天保一三年(一八四二)宝篋ほうきよう山上にも同形の高さ四メートルの塔が文政一三年(一八三〇)に建てられている。両塔とも造立者の名はないが寺僧実慧の願により相可おうかの豪商大和屋が建てたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

朝日日本歴史人物事典 「円光院」の解説

円光院

没年:延宝8.11.11(1680.12.31)
生年:慶長14(1609)
江戸前期の人。円通寺開基。園基任の娘。後光明天皇生母の壬生院(園光子)の妹。はじめ中和門院に勤仕していたが,出雲松江藩主京極忠高の継室となる。忠高没後,京へ戻り,薙髪して円光院と称した。後水尾法皇信任を得,幼少時の霊元天皇の傅育にも当たった。従兄弟でもある禅僧一糸文守らに法を問うなどして修行した。法号は菊潭文英。一時,江戸下向の話もあったようである。寛文12(1672)年法皇は幡枝御所(京都市左京区岩倉)の御殿,庭園を霊元天皇と円光院の山荘とする。延宝6(1678)年幕府に働きかけてこの地に円通寺を創建。山号および寺号は法皇が選んだものといわれる。<参考文献>京都市編『京都の歴史』5巻

(久保貴子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「円光院」の解説

円光院 えんこういん

園文英(その-ぶんえい)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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