三宅康勝(読み)みやけ やすかつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宅康勝」の解説

三宅康勝 みやけ-やすかつ

1628-1687 江戸時代前期の大名
寛永5年生まれ。三宅康盛(やすもり)の長男。明暦4年(1658)三河(愛知県)挙母(ころも)藩主三宅家第2次2代となる。寛文4年(1664)三河田原1万2000石にうつされた。大坂加番をつとめる。貞享(じょうきょう)4年8月9日死去。60歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の三宅康勝の言及

【田原藩】より

…関ヶ原の戦後1601年(慶長6)戸田尊次が伊豆下田より1万石で入封。忠能をへて忠昌の代に肥後富岡に移り,64年(寛文4)三宅康勝が三河挙母(ころも)より入封して1万2000石,24ヵ村を領した。その後康雄,康徳,康高,康之,康武,康邦,康友,康和,康明,康直,康保とついで廃藩置県に至る。…

【三宅氏】より

…江戸時代の譜代大名。1558年(永禄1)政貞・康貞父子はそろって徳川家康に見参し,旧領三河国梅坪を安堵されて徳川氏の家臣となる。康貞はたびたびの軍功によって90年(天正18)武州瓶尻(みかしり)に5000石の領地を与えられ,さらに1604年(慶長9)には三河国挙母(ころも)1万石を領した。19年(元和5)康信のときに,伊勢の亀山に移ったが,36年(寛永13)康盛のときに再び挙母に帰った。さらに康勝のとき64年(寛文4)に三河国田原藩万2000余石に転封となり,以後,代々田原藩主として幕末に至った。…

※「三宅康勝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android