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金地院 こんちいん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金地院
こんちいん

京都市左京区にある臨済宗南禅寺塔頭大業徳基により応永年間 (1394~1427) に創建されたと伝えられ,慶長 10 (1605) 年に以心崇伝が南禅寺塔頭として再興した。寛政2 (1790) 年の『禅宗済家五山僧録司金地院牒』には御朱印高七百石と記される。所蔵される『本光国師日記』は原本であり,方丈や東照宮本殿,東照宮石の間,東照宮拝殿,八窓席とともに,重要文化財。絵画では足利義満が蔵していた『秋景冬景山水図』,応永 20 (1413) 年明兆筆とされる墨画『渓陰小築図』がともに国宝に指定されている。

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百科事典マイペディアの解説

金地院【こんちいん】

南禅寺(なんぜんじ)

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世界大百科事典 第2版の解説

こんちいん【金地院】

京都市左京区にある臨済宗南禅寺の塔頭(たつちゆう)。徳川家康の側近として幕府の政治の枢機に列した黒衣(こくえ)の宰相,以心崇伝が住んだ寺である。当寺は,古く室町時代,南禅寺の住持だった大業徳基によって洛北の鷹峯に開創されたというが,そののち衰微し,崇伝が南禅寺の住持となった1605年(慶長10)ごろに,崇伝によって現地に移され復興した。そののち,崇伝が駿府の家康に召され重用されるにつれ,当院は南禅寺の多くの塔頭の中でも最も権勢ある塔頭となって,江戸時代を推移した。

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大辞林 第三版の解説

こんちいん【金地院】

京都市左京区にある南禅寺の塔頭たつちゆうの一。応永年間(1394~1428)、大業が北山付近に創建。慶長年間(1596~1615)、崇伝すうでんが現在地に移建中興。狩野派の襖ふすま絵や小堀遠州作の枯山水の庭園および茶室八窓席がある。
東京都港区芝公園にある臨済宗南禅寺派の寺。もと崇伝の江戸における宿坊。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金地院
こんちいん

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世界大百科事典内の金地院の言及

【南禅寺】より

…江戸時代の寺領は892石余で推移し,明治維新で大きな打撃を受け,とくに多くの塔頭が廃滅した。現在,山内塔頭に鎌倉期の庭園で有名な南禅院,細川幽斎が復興した天授庵,山名宗全が建立した真乗院,黒衣の宰相といわれた以心崇伝が中興した金地院(こんちいん),元禄時代(1688‐1704)から名物の湯豆腐を供する聴松(ちようしよう)院など11ヵ寺があり,また全国に末寺400余を数える。【藤井 学】
[文化財]
 伽藍は西を正面とし,背後に東山を負う。…

【本光国師日記】より

…また易占や古筆の鑑定に関する記事も多く,文化史上も貴重である。原本は南禅寺金地院(こんちいん)所蔵。【高木 昭作】。…

※「金地院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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