日本歴史地名大系 「三戸代官所跡」の解説
三戸代官所跡
さんのへだいかんしよあと
三戸城跡の西南の山脚に位置する。現在の町立三戸病院敷地。設置年代は貞享年中(一六八四―八八)(「邦内郷村志」、「三戸城代及び代官下役姓名調」三戸町立歴史民俗資料館蔵)とも、元文六年(一七四一)(「公国史」岩手県盛岡市中央公民館蔵)ともいう。「御仮屋」「御官処」とも称され、藩政後期のものと思われる三戸御城下図では在府小路の南に「官所」がみえる。
三戸通三三ヵ村を所管。代官の地位は寛保年中(一七四一―四四)に物頭格とされ(邦内郷村志)、諸代官中では七戸代官の次座に位置する待遇であった(公国史)。天保初年頃の職制は代官二人以下下役二人、植立奉行二人、蔵奉行、八戸境御用二人、牛馬役一人、漆木奉行一人、鷹巣御用懸一人、御側大豆御用二人、御古城御掃除奉行であった(同書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報