日本歴史地名大系 「三昧堂檀林跡」の解説 三昧堂檀林跡さんまいどうだんりんあと 茨城県:常陸太田市稲木村三昧堂檀林跡[現在地名]常陸太田市稲木町市の中心街から西方五〇〇メートルの丘の上にあり、土塁や敷地跡・水道跡などが残る。「太田盛衰記」によると、徳川光圀は延宝五年(一六七七)生母久昌院菩提のため稲木(いなぎ)村に久昌(きゆうしよう)寺を建てたが、さらに天和三年(一六八三)寺の前の山に檀林(僧侶の学校)の工事を起こし、貞享元年(一六八四)初代の能化(学長)に飯高檀林(現千葉県八日市場市)の日遵を招き、二世は西谷檀林(現山梨県南巨摩郡)の日陸、三世は飯高から日省、四世は日視を招き、「山の寺檀林」「久昌寺檀林」などと称した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by