改訂新版 世界大百科事典 「三条家」の意味・わかりやすい解説
三条家 (さんじょうけ)
藤原氏北家閑院流で院政期の公卿である公実の男実行を始祖とする。実行は累進して太政大臣に昇り,以後代々左右内大臣または太政大臣に至り清華の家格を得た。笛,装束の家。江戸時代の家禄は470石。幕末・維新の際,実万(さねつむ)実美(さねとみ)父子は尊王攘夷派として知られ,実万は1869年(明治2)忠成公と諡(おくりな)され,後に別格官幣社梨木神社にまつられた。実美は文久3年(1863)8月18日の政変で同志の公卿とともに長州に下った,いわゆる〈七卿落〉の一人。江戸幕府倒壊後,召し返されて維新政治を領導し,ついに太政大臣となる。その功により1884年,公爵を授けられ,男公美は別家して男爵を授けられた。なお三条家は2代公教の男実国が滋野井家を,3代実房の男公宣が姉小路家を起こしたが,公宣の弟公氏も別に一家を起こし,三条と称した。よって俗に本流を転法輪(てんぽうりん)三条家と称し,公氏の家を正親町(おおぎまち)三条と称して区別することがある。正親町三条家は,明治になって家名を嵯峨と改めた。
執筆者:今江 広道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報