三椚村
みつくぬぎむら
境川右岸に位置する。北東は狐川が流れて浅川に合流する。東方は石橋村。地内はほぼ平坦であるが、北西の大坪村へ向かって緩やかに傾斜している。もとは当村と石橋村は一村であったと伝える(甲斐国志)。「一蓮寺過去帳」の長禄二年(一四五八)二月一〇日供養の三阿弥陀仏に「ミツクヌキ」、文明一二年(一四八〇)七月四日供養の護一房に「三クヌキ」と記される。明応五年(一四九六)三月一二日、武田信縄が地内の熊野神社に与えた制札(熊野神社蔵)に、「いしはし三ツくぬきくまのゝ宮ニおゐて」とみえる。熊野神社のある三椚が石橋郷に属していたとみるか、石橋と三椚双方の鎮守であったとみるかは決着をみない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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