朝日日本歴史人物事典 「三瀬周三」の解説
三瀬周三
生年:天保10.7.1(1839.8.9)
江戸後期の蘭方医。伊予(愛媛県)大洲の塩商麓屋(三瀬)半兵衛と二宮敬作の姉くらの子。幼名弁次郎,諱は諸淵。敬作,村田蔵六(大村益次郎),川島再助に蘭語を学ぶ。安政4(1857)年シーボルトを迎えに敬作と長崎に移住,翌々年再来日のシーボルトに師事した。その長子アレクサンダーに日本語を教え,師に随行して江戸に赴いたが,幕府訳官福沢諭吉,福地源一郎を差し置いて通訳した科で5年の佃島入獄を命じられた。文久2(1862)年以降,英・蘭書を多数翻訳,元治1(1864)年大洲・宇和島藩主により釈放され,大洲藩3人扶持となる。慶応1(1865)年宇和島出張,明治維新時に大坂仮病院(学校)(大坂医学校病院)を創立した。
(中西啓)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報