三瀬館跡(読み)みせやかたあと

日本歴史地名大系 「三瀬館跡」の解説

三瀬館跡
みせやかたあと

[現在地名]大台町上三瀬

上三瀬かみみせ北方、熊野街道に沿い、背後に急峻な山地が迫る山腹にある。館跡は、尾根に挟まれた谷間に階段状の平坦地が九段ほど残っている。この周囲は北側と東側は急傾斜の丘陵の麓でさえぎられ、西側は深く浸食された谷に接している。館跡の東方の標高一五〇メートルの茶臼ちやうす山と西方の標高一八〇メートルの八幡山の頂には、東西の見張台があった。北畠具教は大河内合戦ののち隠居し、元亀二年(一五七一)に当館を築き、ここに移って三瀬御所と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む