日本歴史地名大系 「三留野村」の解説
三留野村
みどのむら
三留野村は中山道沿いに北から
宝暦七年(一七五七)の「吉蘇志略」には「(三留野左京亮家範)木曾左京大夫家方の二子なり、曾て此に住し、因て以て氏と為す。(中略)里老の伝へ云ふに、往時木曾氏飛騨路を拒がんと欲し、砦を田立山に於て構へ、又館を此に於て築き、其族を之に居らしむ、三留野は則ち御殿之謂ひ也、駅の西に一つの高阜有り、呼で城山と曰ふ、是れ古烟の址也」とあり、また明和二年(一七六五)の「木曾古道記」には「三留野。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報