柿其村(読み)かきぞれむら

日本歴史地名大系 「柿其村」の解説

柿其村
かきぞれむら

[現在地名]南木曾町読書よみかき 柿其

奥三界おくさんがい(一八一一メートル)から流れ出る柿其川と支流岩倉いわくら沢とが合流して木曾川へ流れこむ間のわずかな平地集落が散在しており、木曾川右岸にあるこの村の対岸三留野みどの村で、西隣は田立ただち村、北は野尻のじり村の野尻向のじりむかいに隣する。

享保九年(一七二四)の木曾検地以前の年貢は「一、榑五百梃、柿其。是ハ良勝公御代、王滝より此所へ罷越切起候所故、御年貢も無之、下行も不被下候、乍去余程之場所故、御役木五百梃為出、外村々御年貢木紛失之足木ニ致置申候」(弘化年間刊「木曾考続貂」)とあり、また宝暦七年(一七五七)の「吉蘇志略」には「此村往古は王滝の百姓なり、自ら山を開き田と為し之れに居る、後年河を越へ三留野に至り甚だ便なり、因て三留野に隷く、初め租税無し、近時有司地を検して租を納む、民の居は河を循に山を隔つ、(中略)古へは租税無く、役夫十人各薪七束を以て貢に充つ、後世地を検し二十五石二斗六升九合を以て定額と為す」とあり、享保検地以前は王滝おうたき村の出村のような取扱いを受けながら一村をなし、木年貢のみで米年貢を納めていなかったが、検地以後は完全な一村として独立し米年貢を納めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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