日本歴史地名大系 「柿其村」の解説
柿其村
かきぞれむら
享保九年(一七二四)の木曾検地以前の年貢は「一、榑五百梃、柿其。是ハ良勝公御代、王滝より此所へ罷越切起候所故、御年貢も無之、下行も不被下候、乍去余程之場所故、御役木五百梃為出、外村々御年貢木紛失之足木ニ致置申候」(弘化年間刊「木曾考続貂」)とあり、また宝暦七年(一七五七)の「吉蘇志略」には「此村往古は王滝の百姓なり、自ら山を開き田と為し之れに居る、後年河を越へ三留野に至り甚だ便なり、因て三留野に隷く、初め租税無し、近時有司地を検して租を納む、民の居は河を循に山を隔つ、(中略)古へは租税無く、役夫十人各薪七束を以て貢に充つ、後世地を検し二十五石二斗六升九合を以て定額と為す」とあり、享保検地以前は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報