日本大百科全書(ニッポニカ) 「三谷三九郎事件」の意味・わかりやすい解説
三谷三九郎事件
みたにさんくろうじけん
1873年(明治6)に起きた陸軍省御用商人三谷三九郎の破産にかかわる官公預金費消事件。三谷家は江戸時代から代々両替商を営んできており、三九郎は、1868年(慶応4)の会計基立(もとだて)金調達に応じ、また官金出納業務を取り扱うなど、三井、小野両組と並び称される江戸屈指の大商人であった。ところが72年、三谷家の手代が水油投機に失敗、その穴埋めに官公預金を利用し30万円の損失を生じた。この対策に、翌年1月東京商社から45万円を借金、さらに横浜の外商から10万円の借入れを試みたが、4月に二重担保を告発され問題化した。当時は山城屋(やましろや)事件など公金費消事件が多く発生し、そのため陸軍省では会計検査が厳重で、調査のなかでさらに三谷組の5万円の不渡りが発覚してついに同組は破産した。明治政府内部の抗争および三井組との対立が絡むともいわれる。
[加藤幸三郎]