三谷民子(読み)ミタニ タミコ

20世紀日本人名事典 「三谷民子」の解説

三谷 民子
ミタニ タミコ

明治〜昭和期のキリスト者,女子教育家 女子学院校長。



生年
明治6年2月16日(1873年)

没年
昭和20(1945)年4月1日

出生地
京都府与謝郡岩滝町

学歴〔年〕
女子学院〔明治23年〕卒,ノースフィールド大学(米国)留学

経歴
女子学院卒業後、越後高田の分校教師となり、明治30年難関の英語教員の資格をとる。33年アメリカのノースフィールド大学に留学。数年後、再びアメリカ及びヨーロッパに遊学、欧米の教育事情を視察。帰国後、大正3年女子学院の学監となり、昭和2年校長に就任。在学中から入信、師であり宣教師のE.P.ミリケンの教えを受けキリスト教徒として自由主義的な女子教育に携わった。また安井てつ、津田梅子らと無教派連合キリスト教大学設立のメンバーとなり、東京女子大学創立にも貢献した。晩年には佐々木信綱短歌を習った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三谷民子」の解説

三谷民子 みたに-たみこ

1873-1945 明治-昭和時代前期の教育者
明治6年2月16日生まれ。三谷隆正・隆信の異母姉。アメリカのノースフィールド大に留学後,女子学院高等部を卒業。母校教諭となり,矢島楫子(かじこ)をたすけ,キリスト教にもとづく自由な教育をおこなった。昭和2年院長。昭和20年4月1日死去。73歳。京都出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の三谷民子の言及

【三谷隆正】より

…法学と法哲学の研究のほか,《信仰の論理》(1926),《幸福論》(1944)などで教養主義の克服を教え,青年に大きな影響を与えた。なお,作家長谷川伸は異父兄,女子学院院長を務めた教育者三谷民子は異母姉にあたる。【泉 治典】。…

※「三谷民子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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